アラさんの隠れ家>歴史散歩>江戸名所図会(えどめいしょずえ)>巻之四 第十一冊
巻之四 天権之部
第十一冊 市ヶ谷、大久保、中野、小金井、高田 (このページです)
第十二冊 高田、落合、目白、雑司が谷
第十三冊 小石川、巣鴨、石神井、大宮 (準備中)
江戸名所図会 巻之四 天権之部 第十一冊
江戸時代の風景 | 現在の様子 |
上の絵は、 市谷八幡宮(いちがやはちまんぐう)を東側から見ています。 手前の道路は現在の外堀通り(靖国通り)です。 画面中央辺りに階段があり、階段右に「えんま」、左に「いなり」とあります。その上の参道を進むと、「拝殿」、「本社」があります。拝殿手前の右には、「かね」、「神*所」、「茶屋」、「芝居」とあります。拝殿の右には、「かんのん」、「大日」とあります。 広重は、名所江戸百景の中で、上のように、市谷八幡を描きました。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。現在、市ヶ谷亀ヶ岡(かめがおか)八幡宮と呼ばれています。 境内は、図会の時代よりも狭まっているようですが、参道の付近の配置は現在もだいたい同じです。右は、外堀通りから入ってすぐのところにある参道で、絵図の中央に書かれている階段です。しかし、現在、その左側にある階段はありません。 鳥居です。市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
薬王寺(やくおうじ) 月桂寺(げっけいじ)の挿絵の右上に、「薬王寺」、「本堂」があり、 その右に「いなり」があります。挿絵の中央から左下にかけて、「月桂寺」、「本堂」、「鐘楼」があります。 江戸名所図会の本文には以下のようにあります。 「稲荷山(いなりさん)薬王寺(やくおうじ) 東光院(とうこういん)と号(ごう)す。同所(市ヶ谷八幡宮のこと)より西北(にしきた)の方、河田窪(かわだくぼ)にあり。新義(しんぎ)の真言宗(しんごんしゅう)にして大塚(おおつか)の護国寺(ごこくじ)に属(ぞく)せり・・・」 「正覚山(しょうかくざん)月桂寺(げっけいじ) 同所三丁ばかりを隔(へだ)てて西南(にしみなみ)の方にあり。済家(さいけ 臨済宗のこと)の禅林(ぜんりん)にして鎌倉(かまくら)円覚寺(えんかくじ)に属(ぞく)せり・・・」 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。青い円は月桂寺です。赤い円は薬王寺のあった辺りかと思われますが、現在はありません。 右は、月桂寺の本堂です。月桂寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
大窪天満宮(おおくぼてんまんぐう)の挿絵には以下のようにあります。 「 社壇(しゃだん 社殿のこと)西(にし)に向(むか)う故(ゆえ)に西向(にしむかい)といい、又は、棗(なつめ)の天神と称(しょう)すれども棗の来由(らいゆ)しるべからず。境内(けいだい)すこぶる幽邃(ゆうすい 奥深く静かなこと)あり」 挿絵の中央上に、「本社」、「拝殿」があります。その左側は「別當」です。 江戸名所図会の本文には、「大窪天満宮(おおくぼてんまんぐう) 大窪(おおくぼ)にあり。此地(このところ)の鎮守(ちんじゅ)とす。祭禮(さいれい)は六月二十五日なり。別當(べっとう)は梅松山(ばいしょうざん)大聖院(だいしょういん)と号(ごう)して、聖護院宮(しょうごいんのみや)の直末(じきまつ)本山派(ほんざんは)の江戸役所(えどやくしょ)にして大先達(だいせんだち)より當社(とうしゃ)を世に棗(なつめ)の天神、あるいは西向(にしむき)の天神とも称(しょう)せり・・・」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤い円は西向天神(にしむきてんじん 大窪天満宮)で、青い円は別当の大聖院です。 右は、西向天神の一の鳥居で、この階段は、挿絵の中央にある階段の位置にあるものと思われます。 右は、西向天神の拝殿です。西向天神の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右は、大聖院前の階段です。挿絵の中央にある坂道の位置辺りかと思われます。 右は、大聖院です。大聖院の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上の 大久保七面宮(おおくぼしちめんぐう)の挿絵の左上に「本社」があり、その下に「法善寺 本堂」、「鐘」があります。 江戸名所図会の本文には、「七面大明神(しちめんだいみょうじん)社 同(大窪天満宮のこと)東の隣(となり)日蓮宗(にちれんしゅう)春時山(しゅんじさん)法善寺(ほうぜんじ)に安置(あんち)す」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右は、本堂です。法善寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
諏訪谷村(すわやむら)諏訪明神社の挿絵では、右側の山門から参道を進むと、右に「かね」、「神楽所」を見ながら「拝殿」、「本社」に至ります。挿絵の左側には「別当 玄国寺」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右は、諏訪明神(現 諏訪神社 上の地図の赤い円)の鳥居です。 右は、拝殿です。諏訪神社の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右は、玄国寺の本堂です。玄国寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上の挿絵は、 大久保の映山紅(きりしま つつじ、えいざんこう)です。 挿絵には右のように書かれています。 |
大久保の映山紅(きりしま)は弥生(やよい)の末を盛とす。長丈余(じょうよ 長さ3m以上)のもの数株(あまた)ありて、其の紅艶(こうえん)を愛するの輩(ともがら)、ここに群遊(ぐんゆう)す。花形(かぎょう)微少(ちいさし)といへども、叢(むらが)り、開きて、枝茎(しけい)を蔽(かく)す。さらに満庭(まんてい)紅を潅(そそ)ぐがごとく、 夕陽に映じて錦繍(きんしゅう)の林をなす。この辺りの壮観なるべし。 |
上の 自證院(じしょういん)の挿絵には、右上に「本堂」があります。本堂を左回りに、「庫裏」、「方丈」、「玄関」、「地蔵」、「かね」、「中門」が見えます。 中門から左下に参道を進むと「総門」があり、総門の上に「山王」、「いなり」が、右に「寺中」とあります。挿絵の右下には「薬王寺」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右は、自證院の本堂です。自證院の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
鎧明神社(よろいみょうじんしゃ) 圓照寺(えんしょうじ)。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤い楕円は鎧明神社、青い楕円は円照寺です。 |
上の挿絵にある、 柏木邑(かしわぎむら) 右衛門桜(えもんさくら)というのは、上の欄の圓照寺の本堂の前に見える桜のようです。 | |
淀橋水車(よどばしみずくるま)の挿絵には以下のように書かれています。 淀はしは成子(なるこ)と中野(なかの)との間にわたせり大橋小橋ありて、橋より此方(このかた)に水車(みずくるま)回轉(めぐれ)る故(ゆえ)に山城(やましろ)の淀川に準(なぞら)えて淀橋と名付(なづく)べき旨(むね)台名(たいめい)ありしより名(な)とす、といえり。大橋の下流(なが)るるは神田(かんだ)の浄水堀(じょうすいほり)なり
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江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 |
角筈村(つのはずむら) 熊野(くまの)十二所権現(ごんげん)社の挿絵には、以下のように書かれています。 世人誤(あやまり)て十二そうという多景(たけい)にして遊覧(ゆうらん)多し 上の挿絵で、画面左側に熊野権現があります。左上の遠景に「しん宿」が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。緑の楕円の西半分は、挿絵の池の辺りです。赤い楕円は熊野神社境内の辺りです。 右は、熊野神社前交差点から、熊野神社の方向を見ている写真ですので、挿絵の左端から撮っていることになります。 右は、鳥居と拝殿です。熊野神社の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上は、其二 熊野滝(くまののたき)の挿絵です。 | |
成願寺(じょうがんじ)の挿絵の中央少し右に「本堂」があり、その右に「庫裏」があります。右上の遠景に「中埜長者墓」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りかと思いますが、正確には分かりません。 右は、境内と本堂です。成願寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上は、 中野(なかの)塔(とう)の挿絵です。この所在は不明です。 | |
上の、 中野(なかの)宝仙寺(ほうせんじ)の挿絵には「當寺(とうじ)に享保十四年交趾国(こうちこく ベトナム)より貢献(こうけん)さる所の馴像(しゅんぞう)の枯骨(ここつ)あり」とあります。 挿絵の右下に「仁王門」があり、仁王門を抜けて左右に「不動堂」、「鐘楼」、「三頭権現?」、「くまの」、「弘法大師堂」があり、左上に「本堂」があります。本堂の右に「玄関」、「庫裏」、左手前に「あみだ」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。挿絵の右下の道は青梅街道かと思われます。 右は、宝仙寺の参道入口で、青梅街道の側から撮った写真です。この仁王門は、おそらく、挿絵とほ異なり、挿絵の中央の中門の位置にあるのではないかと思われます。 右は、本堂です。宝仙寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上の挿絵は 桃園春興(とうえんしゅんきょう)です。 | |
上の堀之内(ほりのうち)妙法寺(みょうほうじ)の挿絵には、「當寺(とうじ)に安置(あんち)の日蓮(にちれん)大士の感応(かんのう)は常に唐えん(捐か? 空しいこと)ならず。故に風雨寒暑(ふううかんしょ)をいとわず都鄙(とひ 都と田舎)の貴賎(きせん)日毎にここに詣(けい)して百度参等片時(へんじ)絶(たゆ)ることなし。殊に七月の法華千部会(ほっけせんぶえ)、十月の会式(えしき)には群参(ぐんさん) 稲麻(とうま 人が集まる様子)の如く、駢(べん)てん(門構え+真)言語(ごんご)の及ぶにあらず」とあります。 上の挿絵の右下から参道を進むと「楼門」があり、左に「かね」を見ながら正面の「祖師堂」に至ります。祖師堂の後ろに「本堂」、右に「玄関」、「回廊」、さらに右に「庫裏」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右は現在の堀之内妙法寺の境内が分かるマップです。江戸名所図会の挿絵とほぼ同じ配置になっているようです。 右は妙法寺の参道入口です。正面に見えるのが仁王門です。妙法寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上の 大宮八幡宮(おおみやはちまんぐう)の挿絵には「當社(とうしゃ)広前(ひろまえ)老松(ろうしょう)は、矯々(きょうきょう)として雲を払(はら)い数百歳の相(そう)を標(ひょう)せり。白石(はくせき)先生も此(この)松を賞(しょう)して奥羽(おうう)をはじめ房総豆相東海(ぼうそうとうそうとうかい)一路畿内濃尾(きないのうび)の諸州(しょしゅう)にも未かかる長松(ちょうしょう)の多きを見ず、と新安手簡(しんあんしゅかん)に記(しる)されたり。又、社前の大路は往古の鎌倉海道(かまくらかいどう)にして今土人(どじん)正用街道と唱(とな)えたり。上高井戸(かみたかいど)に鎌倉橋(かまくらばし)と呼ものあるもいにしえ街道なりし旧称(きゅうしょう)といえり」とあります。 挿絵の左下に「惣門」があり、参道を進むと、絵の中央に「中門」があり、更に左右に「鐘楼」、「神楽所」を見ながら「本社」に至ります。 挿絵でも、参道両脇に松が植えられていることが分かります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 大宮八幡宮の入口です。江戸名所図会の挿絵に描かれた惣門に当たる門は無いようです。鳥居は挿絵のように幾つか並んでいるのが見えます。 右は、拝殿です。大宮八幡宮の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
左の 鞍懸松(くらかけまつ)の挿絵には以下のように書かれています。 鞍掛松(くらかけまつ)は大宮八幡宮の馬場先(ばばさき)の大路(たいろ)民家構(みんかかまえ)の外にあり、鬱蒼(うっそう)として繁茂(はんも)せり。根より一丈ばかり上に至りて屈曲(くっきょく)せる故に、土人和田の曲り松(わだのまがりまつ)と称し、或は鞍掛松(くらかけまつ)とも呼(よ)べり。相伝(そうでん)に八幡太郎義家(よしいえ)朝臣(あそん)奥州の逆徒(げきと)征伐(せいばつ)の頃、此松枝(まつえだ)に鞍(くら)をかけられしよりしかいうと。又、此所より二三町東道(ひがしみち)の傍(かたわら)に古松(こしょう)一株(いっちゅう)あり。土人一本松(いっぽんまつ)と唱(とな)う。昔、八幡宮の一の鳥居ありし旧地なりという | |
井頭池(いのがしらいけ)弁財天社の挿絵には、中央に、「神田上水の源なり」とあります。 また、「本社」、「拝殿」、「聖天」が見えます。絵の右下に「御殿山」とあります。 江戸名所図会の本文には以下のようにあります。 「井頭弁財天(いのがしらべんざいてん)宮 牟禮(むれ)村にあり、井頭(いのがしら)の地霊(ちれい)にして、中島(なかしま)に宮居(みやい)す・・・」 「井頭池(いのがしらいけ) 神田上水(かんだじょうすい)の源(みなもと)なり。長さは西北より東南へ曲(まが)りて三百歩ばかり。巾(はば)は百歩あまりなり。池中(ちちゅう)に清泉(せいせん)湧出(ゆうしゅつ)する所七ヶ所ありて干魃(かんばつ)にも涸(かる)ることなし。故に七井の池(なないのいけ)とも称(とな)う・・・」 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤い円は井の頭弁財天の位置です。 右の写真は、井の頭弁財天です。由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上は、 小金井橋(こがねいばし)春景(しゅんけい)です。 挿絵の手前から流れに沿って、「梶のはし」、「堰のはし」、「小金井はし」、「貫井はし」があり、右上に「旅亭」があります。 江戸名所図会の本文には、「小金井橋(こがねいばし) 多摩川(たまがわ)の上水堀(じょうすいほり)両岸(りょうがん)の芝(しば)塘(つつみ)にあり、金井村(こがねいむら)に架(わた)す故に名とす」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。但し、東側は遠景で富士山まで描かれています。この辺りでは、五日市街道に沿って玉川上水が流れています。青い円は梶の橋(梶野橋)、赤は堰の橋(関野橋)、青は小金井橋、オレンジ色は貫井(ぬくい)橋です。 |
上の挿絵には以下のように書かれています。 「 小金井橋(こがねいばし)は小金井邑(むら)の地に傍(そう)て流(なが)るる所の玉川上水の素掘(しらぼり)りに架(わた)す故に此名あり。岸を夾(はさ)む桜花(おうか)は数千株(すうせんちゅう)の梢(こずえ)を並べ落英繽紛(らくえいひんぷん 花びらが散って乱れ舞う様子)たり。開花(かいか)の時、此橋上(きょうじょう)より眺望(ちょうぼう)すれば雪(ゆき)とちり雲(くも)とまがいて一目千里(いちもくせんり)前後盡(つく)る際(きわ)をしらず。仍(よっ)て都下(とか)の騒人(そうじん)遠(とお)きを厭(いとわ)ずしてここに遊賞(ゆうしょう)するもの少なからず。橋頭(きょうとう)酒を煖(あたた)め茶(ちゃ)を煮(に)るの両三店あり。遊人(ゆうじん)或は憩(いこ)い或は宿す」 「春の夜は さくらにあけて しまいけり 芭蕉」 | |
上の挿絵は、築土八幡宮(つくどはちまんぐう) 同明神社です。絵の左上に並んでいる社は、右側が「八幡」で左側が「明神」です。両社は参道も含め、綺麗に並んでいます。右の八幡の参道右には「かぐら所」、「観音」があります。左の明神の参道右には、「三岸」、「疱瘡神」、「観音」があり、左には「かぐら所」、「いなり」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。現在、築土八幡は同じ場所にありますが、築土明神社は築土神社と呼ばれ九段坂に移っています。築土神社についてはこちらに書いてあります。 右は、筑土八幡神社の一の鳥居です。その左側は宗教施設のようです。 右は、筑土八幡の拝殿です。由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
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上は、 牛込(うしごめ) 神楽坂(かぐらざか)です。 絵には、「月毎(つきごと)の寅(とら)の日には、参詣夥しく、植木等の諸商人、市をなして賑えり」とあります。 絵の中央を斜めに通っている路が神楽坂です。右上に「毘沙門堂」、「善国寺」、「こんぴら」があります。その左下に「たか田八幡宮御旅所」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右は、現在の神楽坂の坂下で、外堀通りで撮っています。図会の挿絵の左下から見ている写真です。 現在、高田八幡宮御旅所は残っていません。 右は、神楽坂毘沙門天本堂です。善国寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上の挿絵は、 松源寺(しょうげんじ) 行元寺(ぎょうげんじ) 若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)です。 挿絵の左手前に「はちまん」とあるのが若宮八幡宮です。本社の前右に「別当」があります。当時の別当は普門院です。 画面右は「行元寺」で、左上は「松源寺」です。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。若宮八幡の位置は赤い丸で示しました。なお、現在、松源寺、行元寺のいずれもありません。 右は、若宮八幡の境内です。若宮八幡の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上の絵は、赤城明神社(あかぎみょうじんのやしろ)です。 絵では、右側から一の鳥居、二の鳥居と参道が続いており、正面に「拝殿」、「本社」があります。参道右には「手水や」その右に「別当」(東覚寺)があり、参道左には「茶や」の横に階段があり、「裏門」につづいています。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右は、拝殿です。赤城神社の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 なお、拝殿は、右の写真のように高い位置にありますので、江戸時代とは何かが変わっているようです。盛り土をしたのか、あるいは、境内の配置(参道の向き)が変わっているのかもしれません。 |
上の絵は、済松寺(さいしょうじ)です。 左下の「総門」から参道を進むと、「唐門」があり、その先、左へ曲がり更に右へ曲がった正面が「仏*」、右手前が「経蔵」です。奥側には、左から「鐘楼」、「庫裏」、「方丈」、「ご仏殿」、「ほうおう池」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右は、本堂です。済松寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上の絵は、 高田本松寺(たかだほんしょうじ) 願満祖師堂(がんまんそしどう)です。 挿絵では、右から、「祖師」(本松寺願満祖師堂)、中央に「感通寺」、左に「毘沙門」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右は、本松寺の山門と本堂です。本松寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右は、本堂です。感通寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上の絵は、 茗荷畠(みょうがはたけ)神明宮(じんめいぐう)です。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。現在は、高田天祖神社と呼ばれています。 右は、拝殿です。高田天祖神社の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
挿絵の右上が「 誓閑寺(せいかんじ)」で、境内に「本堂」、「如来堂」、「鐘」があります。 中央下が、「西方寺(さいほうじ)」で「観音」がみえます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。現在、誓閑寺は赤丸の位置にありますが、西方寺はありません。 右は、本堂です。誓閑寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
高田八幡宮(たかだはちまんぐう)の挿絵には「世に穴八幡(あなはちまん)という」と書かれています。 上の挿絵の中央に「法輪寺」があり、その右に「聖天」があります。法輪寺の上に「水いなり裏門」が見えます。右下に「総門」があり、左側は其二の挿絵につながっています。 其二の挿絵では、右下からの参道を進むと、「楼門」があり、その先に「拝殿」、「本社」があります。本社の裏側から反時計方向に「いなり」、「御宮」、「若宮」、「本地堂」、「能舞台跡】、[菩提樹」、「鐘楼」、「観音」があります。画面左側には「別当」、「出現地」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右は、本堂です。法輪寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右は、龍泉院です。聖天社とも呼ばれていたようですので、挿絵の「総門」の右にある「聖天」と書かれたお寺かと思われます。 右は、高田穴八幡宮の正面鳥居です。挿絵の総門に当たるようです。 右は、拝殿です。高田穴八幡宮の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
高田稲荷 毘沙門堂 富士山 神泉 守宮池 宝泉寺 (江戸名所図会より) 上の挿絵の中央少し上の「いなり」が高田稲荷(たかだいなり)で水いなりとも呼ばれていました。いなりの左側に「裏門」があり、これは高田八幡の挿絵の「裏門」と同じものと思われます。稲荷の右上側に「富士山(ふじさん)」、さらにその右下に「浅間」があります。いなりの左下に「毘沙門」があります。挿絵の左下に「表門」があり、そこから、右に「うら門」、左に「いもりが池(守宮池)」を見ながら進むと「宝泉寺(ほうせんじ)」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。現在、その大部分は早稲田大学のキャンパスになっており、宝泉寺が残っている程度です。 右は本堂です。宝泉寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
高田天満宮(たかだてんまんぐう)の挿絵には以下のように書かれています。 此辺に藝花園(うえきや)おおく、四時に花絶(たえ)ず |
高田天満宮は上の地図の緑色の楕円の辺りにあったようですが、現在はありません。 |
巻之四 天権之部br>
第十一冊 市ヶ谷、大久保、中野、小金井、高田 (このページです)
第十二冊 高田、落合、目白、雑司が谷
第十三冊 小石川、巣鴨、石神井、大宮 (準備中)