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江戸名所図会(えどめいしょずえ)巻之一の中のページ
第一冊 江戸城、日本橋、御茶ノ水 このページです
第二冊 両国橋、伝馬町、永代橋、佃島、新橋
第三冊 増上寺、愛宕山、三田、高輪
江戸名所図会 巻之一 天樞之部 第一冊
江戸時代の風景 | 今の様子と図の説明 |
挿絵には、「日本武尊東夷征伐の時、武具を秩父岩倉山(いわくらやま)に収め給う。これ、武蔵国号の濫觴(ものごとの始まり)なり」とあります。 江戸名所図会の本文には、武蔵の項があり武蔵の国の構成、成り立ちなどが書かれており、その中に日本武尊が秩父の山にて東夷の成功を記念した旨が記されています。 | |
左側を斜めに流れている川は日本橋川です。左側のページに「江戸橋」が見えますので、その手前の橋は日本橋ということになります。左ページの上側には「深川」がありますのでその手前にある橋は永代橋でしょう。また、遠景には「上総」、「安房」が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は、上の地図の水色矢印の方向に、水色の楕円の辺りになりますが、実際には、地図の範囲を越えて右下はるか千葉まで描かれています。 |
上の挿絵は、元旦(がんたん)諸侯(しょこう)登城(とじょう)之図です。 | |
挿絵には「八見橋(やつみばし) 一石橋(いちこくばし)の異名なり。此の橋上より顧望(こもう)すれば、常盤橋(ときわばし)、銭瓶橋(ぜにかめばし)、道三橋(どうさんばし)、呉服橋(ごふくばし)、日本橋(にほんばし)、江戸橋(えどばし)、鍛冶橋(かじばし)、ことごとく見ゆ。一石橋を加えて八見橋とは云うなり。日本橋と江戸橋の図は次に出るを以ってここに省く」とあります。 上の挿絵は一石橋の上からの図、となっておりますが、明らかに鳥瞰図です。とはいえ、実際の一石橋は下の国直の錦絵に表されたような太鼓橋でしたので、この橋の上からの眺めは素晴らしかったものと思われます(かなりのデフォルメはあるでしょうが)。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の水色矢印の方向に、水色の楕円の辺りを見ています。一石橋は緑色、常盤橋は赤色、銭瓶橋は黄色、呉服橋は青色、鍛冶橋は紫色の丸で、日比谷御門は赤色破線の丸で表しています。 一石橋は、現在、右のような橋になっており、橋はほぼ平で、橋の上は高速道路ですから、ほとんど見通しが効かず、八見橋と呼ばれた面影はまったくありません。 右は、道三橋跡です。江戸時代には、和田倉門の辺りから呉服橋の辺りで外堀につながる道三堀(上の地図の緑色の太い破線)があり、そこに架かっていた橋です。 |
上の図では、中央に日本橋が描かれており、手前左が魚市です。北東方向からの鳥瞰図です。 下は、広重の描いた「日本橋真景并ニ魚市全図」です。遠景に富士山が描かれていますが、その他は上の挿絵とほぼ同じ構図です。 下は、広重の「日本橋 朝之景」です。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 |
挿絵は、日本橋(にほんばし)魚市(うおいち)です。 上の欄の日本橋川の挿絵の手前側にある魚市のアップで、左上に見えるのが日本橋川です。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の北東の一部です。 |
挿絵は、駿河町(するがちょう)三井呉服店(みついごふくてん)です。 挿絵には、「元日の みるものにせん 不二の山 宗鑑」とあります。 三井越後屋呉服店のあった通りは、西南西方向を向いており、富士山が見えたので駿河町という名前で呼ばれたようです。通りの先少し左に呉服橋が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りかと思われます。 右は、挿絵に描かれた道です。江戸時代の三井家は、明治時代に入り、呉服商と両替商とを分離し、三越と三井銀行になり現在に至っています。写真の左側が三越、右側が三井銀行です。 |
挿絵は、本町(ほんちょう)薬種店(やくしゅたな)です。 江戸の町割りで最初に行われたところ、という意味で本町(ほんちょう)となり、本町の中で特に三丁目は薬種店(小売、問屋)が多かったそうです。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りかと思われます。 |
挿絵は、大伝馬町(おおでんまちょう)木綿店(もめんたな)です。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りかと思われます。 |
挿絵は、祇園会(ぎおんえ)大伝馬町御旅所(おおでんまちょうおたびしょ)です。 挿絵には、「五元集 天王の御旅所を拝す 里の子の 夜宮にいさむ 教かな 其角」とあります。 江戸名所図会の本文には、大伝馬町二丁目の乾の角にある、と書かれています。 | |
挿絵は、「小舟町(こふなちょう)祇園会(ぎおんえ)御旅所(おたびしょ)です。 挿絵には、「五元集 祇園西のかりやしつらうを 杉の葉も 青みな月の 御旅かな 其角」とあります。 | |
上は、堀留(ほりとめ)の挿絵です。挿絵に見える川は、東堀留川です。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りかと思われます。濃い青の破線は東堀留川で、水色の破線は西堀留川です。 |
挿絵は、伊勢町河岸通(いせちょうかしどおり)米河岸(こめかし)塩河岸(しおかし)です。L字に見える川は、西堀留川です。 挿絵には、左下に「中の橋」があり、その向こう岸は「米河岸」です。挿絵の右端に「塩河岸」があり、「道しょう橋」が架かっています。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りかと思われます。濃い青の破線は東堀留川で、水色の破線は西堀留川です。赤い円は道浄橋、オレンジ色の丸は中の橋のあった位置です。両橋とも、現在はありません。 |
挿絵は「十軒店(じっけんたな)雛市(ひないち)」です。 挿絵には、「内裏雛 人形天皇の 御宇かとよ 芭蕉」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた十軒店は、上の地図の緑色の楕円の辺りにあったようです。 |
挿絵は、今川橋(いまがわばし)です。 挿絵には、「此辺(このへん)瀬戸物屋(せとものや)多(おお)し」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りかと思われます。 |
挿絵は主水井(もんどのい)です。 | |
挿絵は、下駄新道(げたしんみち)です。 挿絵には、「神田鍛冶町(かんだかじちょう)の西の裏通りなり」とあり、さらに、「七十一番職人歌合の中に月をよめる。 足駄作 山風の 落ちくる霜の ふる足駄 かたわれ月は 木の間なりけり 親長卿」とあります。 | |
挿絵は、「鎌倉町(かまくらちょう)豊島屋酒店(としまやしゅてん)白酒(しろざけ)を商う図」です。 挿絵には、「例年二月の末、鎌倉町豊島屋(としまや)の酒店(しゅてん)に於て雛祭(ひなまつり)の白酒(しろさけ)を商(あきなう)。是を求んとて遠近(えんきん)の輩黎明(れいめい)より肆前(しせん 店の前)に市をなして賑わえり」とあります。 | |
護持院原(ごじいんはら)は、江戸名所図会によると、神田橋と一ツ橋との間の濠の外側の芝生をいいます。以前、護持院という大きな寺があったのですが、火事で焼け、その焼け跡は火除け地となり、護持院ヶ原と呼ばれたのだそうです。
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上の地図の緑色の楕円の辺りが、護持院原のあったところのようです。 |
挿絵の左側の坂が「九段坂(くだんさか)」で、その右側が「中坂(なかさか)」で、さらにその右が「もちのき坂」です。手前右の川は、日本橋川で、手前に「まないたはし」、その右に「とんとんはし」があります。九段坂と中坂の間に「よつぎいなり」と見えます。 下は、広重の描いた「東都坂尽 飯田町九段坂之図」です。 |
江戸名所図会の挿絵に書かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 絵の「よつぎいなり」の場所には、現在、築土神社があり、世継神社はその境内社となっています。右は築土神社の鳥居です。 右は築土神社の拝殿です。築土神社の由緒他詳細については、「猫の足あと」を参照してください。 |
挿絵は、御茶ノ水(おちゃのみず)水道橋(すいどうばし)神田上水懸樋(かんだじょうすいかけとい)です。 |
江戸名所図会の挿絵に書かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 |
三崎稲荷社(みさきいなりのやしろ)の挿絵の中央の鳥居をくぐると「本社」があり、左に「こんぴら」、「天神、*落明神」、「神楽所」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に書かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 三崎神社の拝殿です。三崎神社の由緒他詳細については、「猫の足あと」を参照してください。 |
筋違八ツ小路(すじかいやつこうじ)は、神田川に架かる筋違門(すじかいもん)の内側にある広い道路のことです。 大手門から神田橋を通り上野寛永寺あるいは日光へ向かう道(御成道 おなりみち)と、日本橋から神田を通り本郷へ向かう中山道(なかせんどう)との交差する場所であったため筋違門と呼ばれ、沢山の道が集まるため八ツ小路と呼ばれたそうです。 上の挿絵に描かれた手前の川が神田川です。下側の中央少し左にあるのが「筋違橋」で、筋違門につながっています。筋違門の近くに「御高札」があります。神田川の右側に「昌平橋(しょうへいばし)」が架かっています。 |
江戸名所図会の挿絵に書かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右の写真は、万世橋から旧万世橋駅を見ています。レンガのドームの上が中央線万世橋駅でした。 右は、ドーム部分です。ドームの先の切れたところが昌平橋です。江戸時代には、万世橋は存在せず、このドームの中央から少し昌平橋寄りのところに筋違門と筋違橋がありました。 |
挿絵は藍染川(あいそめがわ)です。 | |
「於玉ヶ池(おたまがいけ)の古事(こじ)」とは、江戸名所図会の本文によると以下のようなことだそうです。昔この辺りに桜ヶ池と呼ばれる池があり、その傍らの桜の木の下で、玉という女性が往来を行き来する人にお茶を振る舞っていました。大変な美人だったため、大勢の人が心を囚われました。そのうち、姿形のよく似た二人の男が彼女に言い寄ったのですが、いずれも甲乙つけがたく、思い悩んだ末、彼女は池に身を投げました。里人が哀れに思い池の畔りに葬った。その後この池はお玉ヶ池と呼ばれるようになった。 江戸名所図会は、津の国(摂津国)の求塚(もとめつか)の故事に似ている、と記していますが、関東にも、万葉集の時代から、市川の真間(まま)の手児奈(てこな)のお話が伝わっています。 |
江戸名所図会の挿絵に書かれたお玉の霊を慰めるためのお玉稲荷が上の地図の緑色の辺りにあります。 右は、お玉稲荷です。お玉稲荷の由緒他詳細については、「猫の足あと」を参照してください。 |
挿絵は弁慶橋(べんけいばし)です。 | |
上の挿絵は柳原堤(やなぎはらつつみ 柳原土手)で、この堤は、筋違橋から浅草橋までおそよ十町あり、堤には柳を植えてあったそうです。 上の絵で、左側に逆くの字に流れているのが神田川です。その右側に沿って大きく逆くの字を描いているのが柳原堤です。左下に「柳森稲荷(現 柳森神社)」、神田川の下流(絵の上方向)に「和泉はし」、さらに下流に「あたらしはし(現 見倉橋みくらばし)」とあります。 柳森稲荷は土手と神田川の間の河川敷にあるようです。 下は、昇斎一景による明治時代の「東京三十六景柳原和泉はし」です(大江戸歴史散歩を楽しむ会のHPから借用)。手前が和泉橋で、神田川上流を見ており、中央が柳森稲荷で右上に筋違橋、筋違門が見えます。江戸名所図会の挿絵とは反対の視線です。 上の絵から、和泉橋の上流で少し神田川が曲がっているようにも見えます。
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江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。但し、神田川が挿絵と現在の地図でかなり様子が違っています。つまり、挿絵では逆くの字に流れていますが、現在の地図上は直線状に流れています。 右の写真は、和泉橋です。橋の南西の袂に柳原土手の説明板があります。 右は、柳原土手の説明板のアップです。この地図でも、和泉橋と柳森神社の辺りで神田川は直線的になっており、土手(斜線部分)と神田川の間にスペースのないことが分かります。 以上のように、地図や絵に幾つかの矛盾点がありますが、左の夫々の絵では構図上の工夫を盛り込んだため、と思われます。あるいは、神田川の流れは時代とともに変化してい、というようなことが考えられないこともありません。なお、柳原土手は現在削られて存在せず、柳原通りとなっているようです。 右は、挿絵の左下にある柳森神社(柳森稲荷)の入り口の鳥居で、柳原通りに面しています。 右は、柳森神社の本殿です。柳森神社の由緒他詳細については、「猫の足あと」を参照してください。 |
挿絵は、馬喰町馬場(ばくろうちょうばば)です。 挿絵には、「鶴岡放生会職人歌合 博労恋 なべて世の 人に手なれの あだこころ つけすまいこそ よしなかりけれ 良基」 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 |
挿絵は、錦絵(にしきえ)で、「江戸(えど)の名産(めいさん)にして、他邦(たほう)に比類(ひるい)なし。中(なか)にも、極彩色(ごくさいしき)殊更(ことさら)高貴(こうき)の御翫(もてあそ)びにもなりて、諸国(しょこく)に賞美(しょうび)すること尤(もっとも)夥(おびただ)し」とあります。 | |
上の挿絵の中央少し左に薬研堀(やげんぼり)の「不動」があり、その左に「妙見」、中央に「聖天」、右下に「金ひら」とあります。江戸名所図会には、挿絵として描かれているものの、本文には記載が見当たりません。 なお、江戸後期の江戸切絵図には、薬研堀不動は見当たりません。天保の改革(1830年代)で両国橋袂の広小路界隈の芝居小屋等が廃止されたとき、薬研堀不動も本所の弥勒寺に引き取られたのだそうですが、切絵図が盛んに印刷されたのは1840年代以降、ということで、記載されていないようです。江戸名所図会の出版は1830年代ですので、微妙な時期なため挿絵だけが残ったのかもしれません。
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江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲はよく分かりませんが、現在、薬研堀不動は、上の地図の緑色の楕円の辺りにあります。 右は、現在の薬研堀不動院です。「妙見」他に対応するところは見つかりません。薬研堀不動は、左に書いたような事情で、一時この地にはありませんでしたが、明治時代の神仏分離令により、又この地に戻って来たのだそうです。 薬研堀不動は現在、川崎大師別院となっています。薬研堀不動院の由緒他詳細については、「猫の足あと」を参照してください。 |
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