アラさんの隠れ家>歴史散歩>江戸名所図会(えどめいしょずえ)>巻之四 第十三冊
巻之四 天権之部
第十一冊 市ヶ谷、大久保、中野、小金井、高田
第十二冊 高田、落合、目白、雑司が谷
第十三冊 小石川、巣鴨、石神井、大宮 (準備中 このページです)
江戸名所図会 巻之四 天権之部 第十三冊
江戸時代の風景 | 現在の様子 |
傳通院裏門(でんつういんうらもん)の挿絵から続く3枚はパノラマになっています。 上の挿絵の中央左には、「八幡」、があり、その右に「地蔵」、その下に「常念仏堂」があります。 其二 澤蔵主(たくぞうす)稲荷社(いなりのやしろ)は上の挿絵の左側に繋がります。この挿絵の中央に、「沢蔵主いなり」があり、その左に「こんぴら」、「茶や」があります。挿絵の左上に「方丈」、「庫裡」があります。 其の三 傳通院総門(でんつういんそうもん)大黒天(だいこくてん)念仏堂(ねんぶつどう)の挿絵の左下に「総門」があり、参道を進むと左側に、「学寮」、「庵」、「太子」、「大こく」、「塔中」があり、「中門」をくぐると、左に「不動」、「くまの」、「開山堂」があり、右に「輪蔵」、「鐘楼」があり、正面に「本堂」、その左後ろに「阿弥陀堂」があります。 江戸名所図会の本文には次のようにあります。 「無量山(むりょうざん)傳通院(でんつういん) 寿経寺(じゅきょうじ)と号(ごう)す。小石川(こいしかわ)牛天神(うしてんじん)乾(いぬい)の方(かた)二町ばかりにあり。浄家(じょうけ)十八檀林(じゅうはちだんりん)の一員(いちいん)なり。本尊(ほんぞん)阿弥陀如来(あみだにょらい)は恵心僧都(えしんそうず)の作にして・・・」
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江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤い円は傳通院、紫の円は福聚院大黒天、オレンジ色の円は慈眼院澤蔵司稲荷です。 右は、挿絵其の三の左下にある惣門の辺りから中門(現在の山門)を撮った写真です。現在、惣門はありません。 右は、傳通院の本殿です。傳通院の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 傳通院は、徳川家の菩提寺であり、徳川家康の生母である於大の方の法名にちなみ傳通院と名付けられています。そのため、墓所には、徳川家の人々のお墓が並んでいます。右は、於大の方のお墓です。 右は、福聚院(傳通院の末寺として創建)です。幼稚園と併設されています。門と本堂の位置は、挿絵と同じです。 右は、福聚院の本堂で、大黒天が祀られています。福聚院の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右は、善光寺坂のムクノキです。挿絵其二の「茶や」の左手前に柵で囲われた大きな木がありますが、これが写真のムクノキではなかろうかと思われます。 右は、慈眼院澤蔵司稲荷の入り口です。この場所は、挿絵の其二の「こんぴら」の辺りかと思われます。 右は、慈眼院の本堂です。挿絵の「澤蔵主稲荷」と書かれた堂宇の位置にあります。神仏分離令で稲荷はこの東側に移されたものと思われます。慈眼院の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右は、澤蔵司稲荷です。上の本堂の東側の谷間に置かれています。 右は、善光寺の山門です。傳通院裏門の挿絵の辺りには、江戸時代、緑受院(傳通院の末寺として創建)がありましたが、明治時代に善光寺となっています。 右は、善光寺の本堂です。善光寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
光圓寺(こうえんじ)の挿絵には、「六阿弥陀(ろくあみだ)、元木薬師(もときやくし)、如来安置(にょらいあんち)あり」とあります。参道正面に「本堂」があり、右に「地蔵」があります。本文には以下のようにあります。 「中臺山(ちゅうだいさん)光圓寺(こうえんじ) 醫王院(いおういん)と号(ごう)す。傳通院(でんつういん)の西二町あまり久保町(くぼちょう)と云うにあり。浄業(じょうごう)の精舎(しょうじゃ)にして傳通院(でんつういん)の開山(かいざん)了誉(りょうよ)上人當寺(とうじ)を興復(こうふく)あり・・・」 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右の写真は、光圓寺の参道で、併設されている幼稚園の園庭を通っています。 右は、光圓寺の本堂です。光圓寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
宗慶寺(そうけいじ) 極楽水(ごくらくみず)の挿絵には、山門の右に「極楽水」があり、参道の先に「本堂」があります。 山門の前で、道が直角に折れている様子が表されています。江戸時代の地図を見ると確かにそのようになっています。 江戸名所図会の本文には以下のようにあります。 「同所(傳通院のこと)三町ばから西北(にしきた)にあり朝覚院(ちょうかくいん)と号(ごう)す。浄土宗(じょうどしゅう)にして傳通院(でんつういん)に属(ぞく)せり。本尊(ほんぞん)阿弥陀如来(あみだにょらい)は恵心僧都(えしんそうず)の作(さく)なり・・・」 「極楽水(ごくらくみず) 境内(けいだい)本堂(ほんどう)の前にある井(い)を云。上に屋根を覆う・・・」 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤い円は現在の宗慶寺、紫色の円は極楽水が再現されている場所です。 右の写真は、宗慶寺です。江戸時代の宗慶寺は現在の播磨坂をまたぐ寺域を持っていたようで、それを上のマップに表しています。宗慶寺は過去移転を繰り返し、昭和になって今の場所に戻ってきているようです。宗慶寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右の写真は、宗慶寺前にある極楽水の碑です。現在、極楽水は少し西側のマンションの脇に再現されています。 右は、再現された極楽水(説明板では、ごくらくすい)です。井戸ではなく流れとして表現されています。ただし、現在、水は流れていませんでした。 |
祥雲寺(しょうんじ) 無量院(むりょういん)の挿絵の左上に「祥雲寺」、「本堂」があり、その右手前に「いなり」、「春朔墓」があります。挿絵の右下には「無量院」、「本堂」、「方丈」、「あきば」、「小野小町墓」がみえます。 江戸名所図会の本文には以下のようにあります。 「瑞鳳山(ずいほうざん)祥雲寺(しょううんじ) 同所(小石川のこと)戸崎町(とさきまち)にあり。曹洞派(そうとうは)の禅窟(ぜんくつ)にして駒込(こまこみ)吉祥寺(きちしょうじ)に属(ぞく)せり。本尊(ほんぞん)は釈迦如来(しゃかにょらい)・・・」 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤い円は無量院、紫色の円は祥雲寺のあった辺りです。両寺とも現在は存在していません。 |
小石川(こいしかわ)白山権現社(はくさんごんげんのやしろ)の挿絵の左側に「本社」があり、本社の左下に「いなり」、本社の右に「いなり」、「神明」、「旗桜」があります。挿絵の右上に参道が伸びており、右端に「表門」が見えます。右下には「裏門」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤い円は本殿の辺りです。 右の写真は、白山権現社(現 白山神社)の表参道の鳥居です(Iさんから借用)。 右は、拝殿です。白山神社の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上は、 氷川明神社(ひかわみょうじんのやしろ) 聖冏庵(せいけいあん)旧跡(きゅうせき) 祇園橋(ぎおんばし)の挿絵です。挿絵の左上には氷川明神社の「本社」があり、その周囲に右回りに「こんぴら」、「地ぞう」、「御供所」、「八まん」、「神楽所」があります。挿絵の左下に「ぎおんはし」が見えます。聖冏庵については、本文に、「本社(ほんしゃ)より右にありて今は氷川明神の御供所(ごくうしょ)となれり」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤い円は氷川明神社(現 簸川神社)の本殿の辺りです。青い破線は江戸時代の千川(小石川ともいう 左の挿絵の左下を流れる川)です。 右は、簸川(ひかわ)神社の拝殿です。簸川神社の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上は、 猫貍橋(ねこまたばし)の挿絵です。 江戸名所図会の本文には、「同所(氷川明神社のこと)西(にし)の方(かた)小石川(こいしかわ)の流(なが)れに架(わた)せり。南向亭茶話(なんこうていさわ)に云(いわ)く、昔、大木(たいぼく)の根(ね)木の股(また)を以(もつ)て橋(はし)にかえて架(わた)したる故(ゆえ)に此名(このな)ありとぞ」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。青い破線は江戸時代の千川(小石川ともいう)です。 右の写真は、猫又橋(ねこまたばし)の碑です。千川に架かる不忍通りの橋です。今は暗渠になっていますが、ここに、大正時代に作られた猫又橋の親柱の一部が置かれています。 |
巣鴨(すがも)眞性寺(しんしょうじ)の挿絵には、「江戸(えど)六地蔵(ろくじぞう)の一員(いちいん)なり」とあります。 挿絵の中央右側に「本堂」、「裏門」があり、その左下に「表門」があります。手前の道は「すがも通り」です。遠景に「天神山」がみえます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。眞性寺は赤い円の辺り、天神山(現 子安天満宮)は紫色の円の辺りにあります。 右の写真は、眞性寺の本堂です。眞性寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右は、眞性寺の前から巣鴨通り(巣鴨地蔵通り商店街)を見た写真です。 右は、拝殿です。子安天満宮の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上は 巣鴨(すがも)庚申塚(こうしんづか)の挿絵です。 主題の庚申塚は右端中央、屋台の後ろにあるようです。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた庚申塚は赤い円の辺りにあります。 右の写真は、巣鴨庚申塚(猿田彦大神庚申堂)です。その由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
十羅刹女堂(じゅうらせつにょどう)の挿絵の中央左側に「本堂」があります。その右に「別当」があります。挿絵の右上遠景に「乞食橋」があります。 江戸名所図会の本文には、以下のようにあります。 「十羅刹女堂(じゅうらせつにょどう) 巣鴨本村藤橋(すがもほんむらふじばし)の川より南の方(かた)にあり。別当(べっとう)は真言宗(しんごんしゅう)にして福蔵院(ふくぞういん)と号(ごう)す。里老(りろう)云(いう)。昔(むかし)此地(このち)に鬼子母神(きしもじん)の像(ぞう)も安置(あんち)してありしが、賊(ぞく)の為(ため)に奪(うば)われて今は雑司が谷にありと。其説(そのせつ)是非(ぜひ)知(し)るべからずといえども、云傳(いいつた)うるに任(まか)せて是(これ)を載(の)するのみ・・・」 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。十羅刹女堂(現 天祖神社)は赤い円の辺りにあります。乞食橋は紫色の円の辺りにあったようです。 右は拝殿です。天祖神社の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 境内にある由緒には、「江戸時代には十羅刹女堂も境内に祀られていました」とあります。 |
板橋駅(いたばしえき)について、本文では「中仙道(なかせんどう)の首にして、日本橋より二里あり。往来の行客常に洛繹(らくえき 人馬の往来が絶え間ないこと)たり」とあります。その理由は、東海道は渡河の問題が多いため、とあります。又、宿の中程を流れる石神川(しゃくじがわ)に架かる橋があり「板橋」と呼ばれます。それが板橋の地名になったとのことです。挿絵はその板橋のようです。 上の挿絵には下のように書かれています。
早発版橋(いたばし) |
江戸名所図会の挿絵に描かれた板橋は緑円の辺りにあります。 板橋宿は、北から南に、上宿、仲宿、平尾宿の三つの宿で構成されており、板橋(橋のこと)は上宿と仲宿の境にあります。 左の挿絵は、石神井川の左岸(北側)から描いているようですので、橋の左奥側(南)は仲宿、橋の右側(北)は上宿、ということになるようです。 |
乗蓮寺(じょうれんじ)は、中仙道の板橋駅にあり、境内には、相生杉(あいおいすぎ)、女男松(めおのまつ)があったようです。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた乗蓮寺は緑円の辺りにあったようですが、板橋区赤塚に移転しました。 |
清水薬師(しみずやくし) 清水坂(しみずざか)の挿絵には、下のように書かれています。 境内(けいだい)山の腰(こし)より清泉(せいせん)沸出す。故に清水(しみず)の号(ごう)あり。此辺(このへん)夏蘿葡(だいこん)を名産(めいさん)とす。清水種(しみずたね)とて世(よ)に賞(しょう)しはへりが また、挿絵には、右から、「方丈」、「薬師」、「清泉」とあり、左上に「しみず坂」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は緑色の楕円の辺りだったものと思われます。赤い円は曹洞宗大禅寺だったところで、現在は総泉寺となっています。水色の楕円は清水坂(地蔵坂)だろうと思われます。 |
松月院(しょうげついん) 大堂(だいどう)の挿絵には、右上から左下に、「松月院」、「開山堂」、「本堂」、「かね」、「大堂」、「八まん」、「かね」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は緑色の楕円の辺りだったものと思われます。赤い円は本堂の辺り、水色の楕円は大堂の辺りかと思われます。 |
吹上観音(ふきあげかんのん)の挿絵の右上に「かね」、「本堂」、「八まん」、「秩父札所 かんのん」、右下に「いなり」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は緑色の楕円の辺りだったものと思われます。 |
練馬 長命寺(ちょうめいじ)の挿絵の中央上の本堂の辺りに、「大師堂」、「石仏」、「石仏」とあり、その左下に「蛇柳、「御廟橋」とあり、挿絵の右下半分には「観音堂」、「本堂」、「方丈」、「門」、「鎮守」があり、左下に「仁王門」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は緑色の楕円の辺りだったものと思われます。 |
三宝寺池 弁財天 氷川明神 石神井城址 (江戸名所図会より) 上の挿絵には、 三宝寺池(さんぽうじいけ) 弁財天(べんざいてん) 氷川明神(ひかわみょうじん) 石神井城址(しゃくじいしろあと)とあり、三宝寺池には「石神井川のみなかみなり」とあります。挿絵の左下には「弁天」があり、中央したには「城山」、「から堀」とあり、その少し上に「氷川」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は緑色の楕円の辺りだったものと思われます。オレンジ色が辯天堂、紫が氷川明神です。水色は城址跡ですが、正確ではないかもしれません。 |
上の挿絵は、 石神井明神祠(しゃくじいみょうじんのやしろ)です。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は緑色の楕円の辺りだったものと思われます。 |
宗岡里(むねおかのさと) 内川(うちかわ)の挿絵には以下のように書かれています。 伊呂波樋(いろはとい)は昔此地の領主、引又(ひきまた)より川を隔てて宗岡(むねおか)の地へ樋を通し農耕の助けとせられし頃、四十八段に掛(かけ)たりしより此称(このしょう)ありといえり
四國雑記 挿絵の中央を流れる川は内川(うちかわ 現在の新河岸川)で、右に見えるのがいろは樋です。左に架かる橋はいろは橋で、これを渡る街道の向こう側は宗岡宿、手前(図の右下の先)に引又宿があったようです。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は緑色の楕円の辺りだったものと思われます。 |
十玉院(じゅうぎょくいん) 西蔵院(さいぞういん) 万蔵院(まんぞういん)の挿絵の中央上には、「十玉院」、「護摩堂」、「経堂」があり、其の右に、「天神」が見えます。左下に「万蔵院」その右に「西蔵院」が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は緑色の楕円の辺りだったものと思われます。 |
上は、 平林寺(へいりんじ) 大門(だいもん)の挿絵です。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は、下の地図の緑色の楕円の辺りです。 |
上は、 平林寺(へいりんじ)の挿絵で、中央少し左に「本堂」があり、その周り反時計回りに「仏殿」、「鐘楼」、「庫裏」、「客殿」、「経蔵」があります。下には、「塔中」、「弁天」が見えます。 上の 其二の挿絵は更に上の挿絵の左側につながっています。 挿絵の下側に「山門」、「惣門」、「塔中」が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上図の紫色の楕円の辺りです。 |
上の、 載渓堂(たいけいどう) 桜車道(さくらくるまのみち)挿絵には、上部に「載渓堂」、下部に「弁天」、「桜車道」が見えます。 |
境内の西北にあるようです。 |
将軍塚(しょうぐんつか) 徳蔵寺(とくぞうじ)の挿絵の右下に徳蔵寺の「本堂」があり、左上に「将軍塚」が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上図の緑色の楕円の辺りです。オレンジ色の楕円は将軍塚、赤色の楕円は徳蔵寺です。 |
上の 久米川(くめがわ)の挿絵には以下のように書かれています。
回国雑記
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東村山市を流れる柳瀬川の上流を久米川と呼んだそうです。 |
曼荼羅淵(まんだらふち)の挿絵には次のように書かれています。 日蓮上人佐州(さしゅう)配流(はいる)の時此川(このかわの)水を以て 曼荼羅を書(しょ)し給うといふ |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上図の緑色の楕円の辺りです。オレンジ色の楕円は持明院、赤色の楕円は曼荼羅淵の辺りです。 |
上は、 北野天神(きたのてんじん)の挿絵です。挿絵の左上側に本堂があり、その手前に 「大納言梅」があり、そこから反時計方向に、「祖神」、「稲荷」、「諏訪宮」、「若宮八幡宮」、「浅間宮」、「日宮」、「月宮」、上にいき、「春宮」、「五行宮」、「風祭宮」、「雨請宮」、「日箭宮」、「山神」、「子持宮」、「子安宮」、「疱瘡宮」、「五穀宮」、「疫神」、「殺生宮」、「石神」、「結大明神」、「祓所宮」、「文子宮」、「諸神宮」、「かぐら所」とあります。右下に「神主」、「みたらし」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上図の緑色の楕円の辺りです。 |
山口観音(やまぐちかんのん)の挿絵の中央少し右側に「本堂」があり、その右に「真光寺」、「影向加持水」があり、そこから本堂を時計回りに、「通夜堂」、「いなり」、「地蔵」があります。中央上に「くまの」その左下に「えんま」があります。 挿絵の左下には「仁王門」と「茶屋」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上図の緑色の楕円の辺りです。山口観音の正式名は金乗院真光寺です。 |
山口岡(やまぐちのおか)の挿絵は、遠景に山々が連なっていますので、谷あいの里は狭山湖になった地域かもしれません。 | |
勝楽寺(しょうらくじ)の挿絵の右上に「七社権現」、「いなり」があり、参道を下ると「三峰」、「阿弥陀」、「地蔵」、「薬師」とあります。 |
勝楽寺は、山口貯水池(狭山湖)に沈んだ旧勝楽寺村にあった寺院ですが、昭和になって貯水池の造成に伴い、現在の所沢市南西部に移っています。 |
堀兼井(ほりかねのい)の挿絵には以下のように書かれています。
千載集 挿絵の左下に「堀兼井」、「浅間社」、「拝殿」があり、右に「堀兼村」があります。挿絵の左上に「はけ下堀兼」が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上図の緑色の楕円の辺りです。 |
上は、 来迎寺(らいごうじ)の挿絵です。 本文によると、本尊は阿弥陀如来で、脇侍の観音勢至とも運慶の作です。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上図の緑色の楕円の辺りです。 |
上は、 車返古事(くるまかえしのこじ)の挿絵です。 江戸名所図会の本文によると、奥州の藤原秀衡が運慶に作らせた阿弥陀如来と観音勢至の像が素晴らしいため、源頼朝が鎌倉に運ぶよう命じたものの、その像を運ぶ途中、武蔵の府中の辺りで運べなくなってしまった、という故事が伝わっているそうです。なお、この仏像が上の来迎寺の像と同じと想像するのが自然ですが、本文からは判断できていません。 | |
上は、 所澤卯花(ところざわのうのはな)の挿絵です。 | |
所澤(ところざわ)薬王寺(やくおうじ)の挿絵には以下のように書かれています。
回国雑記 上の挿絵の中央に、「十殿権現」、「神明」があり、その左に「十王堂」、「真光寺」、「観音堂」、又右には「こんぴら」があります。挿絵の右下には、「庫裏」、「本堂」、「衆寮」、「白山」が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上図の緑色の楕円の辺りです。 |
戸田(とだ)羽黒霊泉(はぐろれいせん)の挿絵には以下のようにあります。 椋(むく)の木の中間(ちゅうかん)椌?(うつろ)より霊泉湧出す。詣人(けいじん)これを汲得(くみえ)て病ある者に服飲(ふくいん)せしむるに験(しるし)ありとて近頃すこぶる賑(にぎ)はへり。本草綱目(ほんそうこうもく 薬学の書籍)に半天河(はんてんか)とありて釈名(しゃくみょう 日本語訳)を上池水(じょうちすい)といふとあり | |
戸田川渡口(とだがわわたしば)羽黒権現宮(はぐろごんげんのみや)の挿絵には以下のようにあります。 水源は入間川(いりまがわ)にして秩父より発生し、下流は荒川ともいひ隅田川とも号(なづ)く。常に舟わたしあり。此川、水増(ませ)ば志村(しむら)まで川ひらきて渡りがたし。依(よって)其頃は堤伝ひに千住へ廻(まわ)りて江戸へ入(い)る。昔は堤村(つつみむら)に馬を継ぐとなり。今も出水(しゅっすい)の時は此村にて継げり。 上の挿絵の中央少し上に「はぐろ」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上図の緑色の楕円の辺りです。赤と紫の楕円は戸田川の渡し、オレンジ色の楕円は羽黒権現があったと推定される場所です。現在は、青色の楕円に合祀されています。江戸時代には、戸田漕艇場はありませんし、川の様子もかなり変わっていたものと思われます |
上の 焼米坂(やきごめざか)の挿絵には、以下のようにあります。 此地(このち)に焼米(やきごめ)を鬻(ひさ)ぐ家ある故(ゆえ)に名とす。本名(ほんみょう)は浦和坂(うらわさか)なり。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた焼米坂(浦和坂)は上図の緑色の楕円の辺りだったようです。 |
上の妙顕寺(みょうけんじ)の挿絵には「子安(こやす)の釈迦如来、(しゃかにょらい)子安(こやす)の曼荼羅当寺(まんだらとうじ)に安置(あんち)す。又安産の妙符(みょうふ)を出(いだ)せり。 上の挿絵の 右上に「本堂」があり、本堂から左下に続く参道には「仁王門」、「山門」があり、本堂の左側に「釈迦」、「開山塔」、「宝蔵」が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上図の緑色の楕円の辺りだったようです。 |
上の 調神社(つきのじんじゃ)の挿絵には「延喜式内(えんぎしきない)の神社なり。今誤りて月読廿三夜(つきよみにじゅうさんや)と称しはべり」。 上の挿絵の中央には「本社」があり、その左右に「蔵王、くまの」、「疱瘡神、いなり」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上図の緑色の楕円の辺りだったようです。 |
上の、 三室村(みむろむら) 元簸河神社(もとひかわじんじゃ)の挿絵の中央右側に「本社」があり、左上に「文殊寺」、「文殊」があります。 挿絵の左下には「弁天」、「四本竹」が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上図の緑色の楕円の辺りだったようです。左図の文殊寺は、右図の紫色の位置に移っているようです。 |
上の、 氷川宮(ひかわのみや) 大門先(だいもんさき)の挿絵には「並木十八丁」、「万日堂」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上図の緑色の楕円の辺りだったようです。赤い楕円は氷川神社です。 |
上の、 大宮驛(おおみやえき) 氷川明神社(ひかわみょうじんのやしろ)の挿絵の左から「天神」、「火王子」、「かんのん」、「御供所」、「神楽殿」、「神楽所」、「布留社」、「神主」、「雷神」、「神主」、「社役」、「相撲土俵」があります。 其二の挿絵はその上の挿絵の左側につながっています。挿絵其二には、左上から、「五山祇社」、「男體宮」、「女體宮」、「龍波之幾社?」、「不動」、「宗像社」、「みたらし」が見えます。 |
江戸名所図会の左の2枚の挿絵に描かれた範囲は上図の緑色の楕円の辺りだったようです。 |
上の、 大宮驛(おおみやのえき) 東光寺(とうこうじ)の挿絵の左上に、「本堂」、「庫裏」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上図の緑色の楕円の辺りだったようです。 |
上は、 黒塚(くろつか) 潮田(うしおだ)出羽守城址 同墓碑(まんだらふち)の挿絵です。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 |
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