アラさんの隠れ家>歴史散歩>江戸名所図会(えどめいしょずえ)>巻之三 第九冊
巻之三 天璣(てんき)之部
第七冊 永田町、霞が関、麻布、広尾、目黒
第八冊 祐天寺、赤坂、渋谷、世田谷、溝の口、登戸、丸子
第九冊 四谷、千駄ヶ谷、代々木、深大寺、国分寺、府中 このページです。
第十冊 府中、立川、玉川、高幡不動
江戸名所図会 巻之三 天璣(てんき)之部 第九冊
江戸時代の風景 | 現在の様子 |
上の 四谷牛頭天王社(よつやごずてんのうやしろ)の挿絵にあるように、右下から坂を上り、参道に入ります。参道の先は鳥居と拝殿、本殿と続きます。参道の左には「別当」があり、右側には「かぐら所」、境内社「庚申、水神、稲荷、天神、歳徳(としとく)、石鳥、愛宕、山神、妙義、秋庭」、「みこし蔵」、「疱瘡神」が見えます。拝殿の奥は「本社」、その左に「はちまん、春日、いなり」と「不動」があります。 絵の右下には「妙行寺」が見えます。 江戸名所図会の本文には、祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)で、別当は宝蔵院である旨が書かれています。 |
四谷牛頭天王社は現在、須賀(すが)神社と呼ばれています。挿絵に描かれた範囲は上の地図の赤色の楕円の辺りです。須賀神社の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 右は、拝殿です。鳥居、拝殿の位置関係は江戸名所図会の挿絵とほぼ同じであるように見えます 右は、拝殿の左奥にある天白稲荷神社です。挿絵の「八幡、春日、いなり」の位置にあります。 右は、妙行寺の本堂です。妙行寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください |
上の挿絵の右上に日宗寺(にっそうじ)があり、「本堂」とその手前に「鬼子母神」があります。絵の左側には戒行寺(かいぎょうじ)があり、「本堂」の手前左に「普賢」、「鬼子母神」があります。絵の右下には汐干(しおひ)観音があり、境内に「聖天」があります。又、その手前は「観音坂」です。 |
上の地図では、挿絵の書かれた範囲を緑色の楕円で表しています。日宗寺は緑色、戒行寺は青色、汐干観音はオレンジ色の円で示してあります。 右の写真は日宗寺の山門と本堂です。日宗寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 右は本堂です。戒行寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 右は汐干観音堂の全景です。道の角の4階建ての建物で、最上階はお寺らしい雰囲気です。汐干観音堂の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 |
篠寺(ささでら)について、庭中に小笹が繁茂していたため篠寺と呼ばれたことが書かれています。 |
挿絵に描かれた笹寺長善寺は上の地図の緑色の楕円の辺りにあります。 笹寺の本堂です。笹寺長善寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 |
四谷大木戸(よつやおおきど)の挿絵には、「五十にて四谷を見たり花の春 嵐雪」とあります。 四谷大木戸について、江戸名所図会の本文には、「甲州及び青梅への街道であり、土地の人は、霞が関或いは朝日の関と呼んだ」、「この地は左右が谷で一本道であり、この関で往還の人を尋問した」、、と書かれています。 |
挿絵に描かれた大木戸は、四谷四丁目の交差点の辺り、上の地図の赤色の円の辺りだったようです。右の地図の緑色の円の辺りに四谷大木戸跡碑があります。 |
内藤新宿(ないとうしんじゅく)について、「甲州街道の官駅であり、昔内藤家の邸宅があったのでこの名がついた」、「日本橋から高井戸迄およそ四里余りあり間隔がありすぎたため、新たに駅舎を作ったので新宿の名がある」といったようなことが書かれています。 |
挿絵に描かれた内藤新宿の風景は、新宿通りの濃い青色の楕円の辺りだろうと思われます。 |
鮫が橋は、紀州和歌山藩の屋敷跡(赤坂御苑)から北側に流れる小川に架かる橋です。 上の挿絵には次のように書かれています。
「鳥の跡」 |
挿絵に描かれた鮫が橋は、上図の緑色の楕円の辺りにあります。 |
上の挿絵の上側に長禅寺の「本堂」があります。 |
挿絵に描かれた長禅寺は、上図の緑色の楕円の辺りにあったようですが、明治時代に四谷に移転しています。長禅寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 |
上の挿絵には、中央上側に大神宮の「本社」、「拝殿」、「神楽殿」、その下に「神主」が見えます。左側中央に、寂光寺の「本堂」、「かね」、「遊女松」が見え、その下に「弁天」があります。 |
挿絵に描かれた範囲は、上図の緑色の楕円の辺りにあったものと思われます。赤い楕円は大神宮、青い楕円は寂光院です。 寂光寺は、千駄ヶ谷の現在の国立競技場の場所にあったようですが、江戸末期に境妙寺と改称、その後大正時代に中野区上高田に移転しています。寂光寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 |
上の挿絵は、 仙寿院(せんじゅいん)という日蓮宗の寺の庭です。絵の右下の「惣門」から参道を進むと、「中門」を通り「本堂」に至ります。本堂の左には「鬼子母神」、「大こく」」、「**」、「いなり」、「芭蕉塚」があります。また、本堂の奥(左上)に「新日暮里」とあります。 江戸名所図会の本文には、ここの風景が谷中の日暮里(ひぐらしのさと)と似ているため、ここを新日暮(しんひぐらし)と呼んだと書かれています。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。仙寿院は何度も焼け、境内も随分と変わっているようです。現在、境内(墓地)の下を都道が走っており世田谷トンネルとなっています。 右は、仙寿院の本堂です。本堂のすぐ左横は墓地になっています。仙寿院の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 |
上の挿絵は、 竜岩寺(りゅうがんじ)の庭で、中央に「笠松」とあります。江戸名所図会の本文には「笠松というものがあり、枝のわたり三間あまり」と簡単に説明されています。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右は、龍巌寺境内です。龍巌寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 |
上の千駄谷(せんだがや)観音堂の挿絵によると、公道から山門の潜り参道に入ると、途中の階段の越えてほぼ真っすぐ本堂に至ります。山門を入ってすぐ右に「別当」「弘法大師」があります。本堂の左側には「かね」と「すは(諏訪)」があり、本堂右側には「不動」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた千駄谷観音堂は上の地図の緑色の楕円の辺りにあり、現在、聖輪寺(せいりんじ)と呼ばれています。 右は聖輪寺の山門です。聖輪寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 |
上の 千駄ヶ谷八幡宮の挿絵では、右側の「表門」から入ると正面に本社があります。表門の左には「鈴かけ松」があります。参道の右側には「かぐら殿」、「いなり」があります。絵の右側には富士塚が「冨士」で表されています。又、 「浅間社」、「神楽蔵」が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。千駄ヶ谷八幡宮は現在、鳩森(はとのもり)八幡神社と呼ばれています。現在の鳩森八幡神社の境内は右図の赤い楕円程度に狭まっています。 右は、鳩森八幡神社の拝殿です。鳩森八幡神社の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 |
上は、 代々木八幡宮(よよぎはちまんぐう)の挿絵です。 挿絵の右上に、「本社」があり、その周りに、「天神」、「いなり」、「かぐら所」があります。中央にかけて、「別当」があり、その前に「かね」が見えます。 江戸名所図会の本文には、「代々木野八幡宮(よよぎのはちまんぐう) 同西(にし)の方(かた)代々木野(よよぎの)にあり・・・別當(べっとう)は天台宗(てんだいしゅう)にして宝珠山(ほうじゅさん)福泉寺(ふくせんじ)地妙院(ちみょういん)と号(ごう)す・・・」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤い円は代々木八幡宮、オレンジ色の円は福泉寺(別当)の辺りです。 右の写真は、代々木八幡の参道入口で一の鳥居が見えます。ここは、山の手通りに面しています。挿絵では、参道は南(左側)にまっすぐ伸びていますが、現在、参道入口は途中で西側(向こう側)に折れた所にあります。 右は、上の写真の鳥居を過ぎたところで撮っています。背中側が一の鳥居で、正面は福泉寺の山門です。 右は、上の写真の福泉寺の山門の手前で左に曲がったところで、二ノ鳥居が見えます。 二ノ鳥居を先に進むと拝殿です。代々木八幡の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 右は、福泉寺の山門です。かつては、代々木八幡宮の別当でした。現在も、福泉寺の山門は代々木八幡の参道から入る形になっています。 右は、福泉寺の本堂です。本堂右側に裏参道があります。福泉寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 |
上は、 代田橋(だいたばし)の挿絵です。 中央の道は甲州街道で、下の水の流れは玉川上水です。本文によると、橋の上を土で覆っているため、流れの様子が分からないそうです。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りと思われます。甲州街道と玉川上水が交差していた箇所です。 |
上の 布多天神社(ふたてんじんのやしろ)の挿絵には、「天神」、「別当」があります。 江戸名所図会の本文には下のように書かれています。 「布多天神(ふたてんじん)社 上布多(かみふた)駅舎(えきしゃ)の辺(へん)より右の方四丁ばかりにあり、別當(べっとう)は真言宗(しんごんしゅう)にして廣福山栄法寺(こうふくざんえいほうじ)と号(ごう)す・・・」 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右の写真は、布多天神社の拝殿です。布田神社の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 |
上は、 青渭社(あおいのやしろ)虎狛柏社(とらかしわのやしろ)です。挿絵の右端に「青渭」があり、左遠方に「虎狛」があります。 江戸名所図会の本文には、虎狛神社について以下のように書かれています。 「虎柏神社(とらかしわのじんじゃ) 同所(布多天神社のこと)北の方十丁計(ばかり)を隔(へだ)てて佐須村(さすむら)にあり・・・社前(しゃぜん)に古松(こしょう)二株(にちゅう)鬱叢(うっそう)と聳(そびえ)たり・・・」 又、昔は「狛」の字を用いていたが誤って「柏」になったのだろう、と書いています。 青渭神社については以下のように書かれています。 「青渭神社(あおいじんじゃ) 虎柏神社(とらかしわじんじゃ)より北の方深大寺村(じんだいじむら)の中にあり。土人(どじん)此地(このち)を字(あざな)して天神が谷戸(てんじんがやと)といえり・・・」 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた青渭神社は青い円、虎狛神社(現在 こはくじんじゃ)は赤い円の位置にあります。 右は、青渭神社の拝殿です。青渭神社の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 右の写真は、虎狛神社の拝殿です。虎狛神社の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 |
狛江入道(こまえにゅうどう)旧跡(きゅうせき) 祇園寺(ぎおんじ)の挿絵の中央に、「本堂」、「庫裡」、「えんま」、「やくし」があります。挿絵の右上に「いなり」と見えるのが狛江入道旧跡のようです。 江戸名所図会の本文には、狛江入道について、以下のように書かれています。 「狛江入道(こまえにゅうどう)旧館地(きゅうかんち) 祇園寺(ぎおんいじ)より艮(うしとら 北東)の方(かた)六七町を隔(へだ)てて二百歩あまりの岡(おか)なり・・・東鑑(あずまかがみ)に承元(しょうげん)二年戊辰七月十五日狛江入道増西(こまえにゅうどうぞうさい)悪党(あくとう)五十余人を率(ひき)いて武蔵国(むさしのくに)威光寺(いこうじ)領内に乱入(らんにゅう)し田を刈(かり)狼藉(ろうぜき)に及(およ)ぶ・・・」 本文では、祇園寺については以下のように書かれています。 「虎狛山祇園寺(こはくさんぎおんじ) 同所(虎狛神社のこと)三丁ばかり東の方(かた)に日光院(にっこういん)と号(ごう)す天台宗深大寺(じんだいじ)に属(ぞく)せり・・・」 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は、緑色の楕円の辺りかと思われます。祇園寺は赤い円で示してあります。狛江入道旧跡の「いなり」は、方向と距離から推定して青い円で示した里の稲荷神社かもしれません。が、確認できていません。 右は、祇園寺の本堂です。祇園寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 |
深大寺(じんだいじ)の挿絵中央右側に、「本堂」があり、その周りを反時計方向に「庫裡」、「五大尊石」、「鐘」、「いなり」、「要石」、「太子堂」、「山王 二十一社」があります。挿絵の左上側に「深砂天王」、「福殿」があり、左の池には、「毘沙門 大こく」、「弁天」があり、挿絵中央下側の池には「吉祥天」があります。 江戸名所図会の本文には以下のように書かれています。 「浮岳山深大寺(ふがくさんじんだいじ) 昌楽院(しょうらくいん)と号(ごう)す。深大寺村(じんだいじむら)にあり・・・大古(たいこ)は法相宗(ほっそうしゅう)なりしが恵亮和尚(えりょうおしょう)以来(いらい)天台宗(てんだいしゅう)に改(あらた)む・・・」 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は、緑色の楕円の辺りかと思われます。 右は本堂です。深大寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 右は五代尊池です。挿絵の五大尊石があるのかどうか確認できませんでした。 右は元三大師堂(がんざんだいしどう)です。挿絵の大子堂のことかと思われます。 |
深大寺蕎麦(じんだいじそば)の挿絵には、「當寺(とうじ)の名産(めいさん)にして、味(あじわ)い尤(もっと)も佳(か)なり。都下(とか)に称(しょう)して深大寺蕎麦(じんだいじそば)という」と書かれています。 | |
国分寺(こくぶんじ)の挿絵の中央少し右上に「薬師」があり、その周囲に右回りに「観音」、「庵」、「疱瘡神」、「御たけ」、「八まん」、「ごま堂? 秋葉 いなり 毘沙門」が見えます。参道を左下に降りると、「仁王門」があり、その右側に「本堂」、「庫裡」があります。 国分寺は、 奈良時代に聖武天皇の命で建立された国分寺のうちの武蔵国国分寺の後継寺院です。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は、緑色の楕円の辺りです。赤い円は薬師堂の辺りです。 右の写真は、武蔵国分寺の薬師堂への参道入口です。左に書いたように、武蔵国の国分寺の後継寺院です。 右は、仁王門です。江戸名所図会の挿絵の記載と同じ位置にあるようです。 右は、武蔵国分寺の本堂です。武蔵国分寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 右は、山門です。挿絵の「本堂」の左下にある山門(説明無し)の位置にあるのではないかと思われます。 右は、武蔵国国分寺と書いてある碑です。挿絵の左下にぽつんと書かれている碑らしきものの位置にあるようです。同じ碑か否か確認しそこないました。 |
上は、 国分寺伽藍(こくぶんじがらん)旧跡(きゅうせき)の挿絵です。 江戸名所図会の本文には、旧国分寺について、「往古(そのかみ)源頼義朝臣同義家朝臣奥州征伐発向(はっこう)の頃も當寺へ入たまい、其頃は盛大の寺院なりしと云。あまたの星霜(せいそう)を経て元弘の兵火(げんこうのひょうか 鎌倉時代末期の分倍河原の合戦の兵火のこと)に亡(ほろ)びしを新田家にて再興(さいこう)ありしも、兵革(へいかく)の世(よ)終(つい)に復(ふく)すことなし・・・」とあります。 本文には、また、「今(いま)古伽藍(こがらん)の礎石(いしずえ)のみ厳然(げんぜん)として田間(でんかん)阡陌(せんぱく 道の交わる所)の間(あいだ)に埋(うも)れて懐旧(かいきゅう)の情(じょう)を催(もよお)せり」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた所はよく分かりませんが、上のマップの緑色の楕円の辺りを中心に、発掘調査が行われています。 右は、武蔵国分寺跡です。この辺広い範囲に国分寺と国分尼寺があったようです。 右は、僧寺伽藍中枢部とされているところにある礎石です。江戸名所図会の挿絵に書かれた石は、このような石の一つかと思われます。 |
上は、 国分寺村(こくぶんじむら) 炭(すみ)がまです。 | |
恋ヶ窪(こいがくぼ) 阿弥陀堂(あみだどう) 傾城松(けいせいのまつ) 牛頭天王(ごずてんのう)の挿絵には以下のようにあります。 「四国雑記 恋ヶ窪といえる所にて 朽ちはてぬ 名のみ 残れる 恋ヶくぼ 今はた問うも 契ならずや 道興准后」 挿絵の左下に「こいがくぼ」、その左上に「阿弥陀堂」、「庵」、「あみだ坂」、その右上に「東福?寺」があります。挿絵の右上に続く道をたどると、「庵」、「熊野」があり、遠景に右から順に「傾城松」、「八まん」、「富士見坂」が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円を更に広げた範囲かと思われます。赤い丸は東福寺で、青い丸は恋ヶ窪熊野神社です。 右は、東福寺の本堂です。東福寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右は、熊野神社の拝殿です。熊野神社の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照してください。 左の挿絵の 「こいがくぼ」の辺りには昔から姿見の池の言い伝えがあったのだそうで。右は、一度は埋め立てられ平成に再整備された姿見の池です。上の地図の紫色の丸の辺りです。 |
府中(ふちゅう)八はた八幡宮(はちまんぐう)の挿絵の中央右側に「八幡」、右下に「八幡宿」、左上遠景に「染谷村」か。 挿絵の下を斜めに走る道は甲州街道かと思われます。 江戸名所図会の本文には、「府中六所宮(ふちゅうろくしょのみや)の末社(まっしゃ)にして甲州街道(こうしゅうかいどう)八幡宿(やはたじゅく)の道(みち)より左(ひだり)にあり。祭(まつ)る所(ところ)応神天皇(おうじんてんのう)なり・・・」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円を更に広げた範囲かと思われます。赤丸は八幡八幡宮(現在、武蔵国府八幡宮あるいは六所八幡神社とも呼ばれます)です。 右の写真は、二ノ鳥居です。左の挿絵では、甲州街道と八幡宮の中間辺りの位置かと思われます。 右の写真は、拝殿です。六所八幡神社の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 |
上は、 府中(ふちゅう)の総図の挿絵です。挿絵には、称名寺(しょうみょうじ)弥勒寺(みろくじ)善明寺(ぜんみょうじ)高安寺(こうあんじ)とあります。 挿絵の右中央に「称名寺」、「本堂」、「本堂」、「地蔵」、「天神」があります。挿絵の左上に「弥勒寺」、「本堂」、「熊野」があります。挿絵の中ほど下に「善明寺」、「本堂」があります。挿絵の左側に、「高安寺」、「本堂」、「みろく」、「七観音」があります。挿絵の右下には、「六所宮」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤い丸は六所宮(現在の大國魂神社)、オレンジ色が称名寺、濃い青が善明寺、紫色が高安寺です。弥勒寺は不明です。 右は本堂です。称名寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 右は本堂です。善明寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 右は高安寺の山門です。山門、本堂、観音堂の位置関係は、挿絵とほぼ同じになっているようです。 右は本堂です。高安寺の由緒・詳細は「猫の足あと」を参照してください。 |
巻之三 天璣(てんき)之部
第七冊 永田町、霞が関、麻布、広尾、目黒
第八冊 祐天寺、赤坂、渋谷、世田谷、溝の口、登戸、丸子
第九冊 四谷、千駄ヶ谷、代々木、深大寺、国分寺、府中 このページです。
第十冊 府中、立川、玉川、高幡不動