アラさんの隠れ家>歴史散歩>江戸名所図会(えどめいしょずえ)>巻之三 第七冊
巻之三 天璣(てんき)之部
第七冊 永田町、霞が関、麻布、広尾、目黒 このページです。
第八冊 祐天寺、赤坂、渋谷、世田谷、溝の口、登戸、丸子
第九冊 四谷、千駄ヶ谷、代々木、深大寺、国分寺、府中
第十冊 府中、立川、玉川、高幡不動
江戸名所図会 巻之三 天璣(てんき)之部 第七冊
江戸時代の風景 | 現在の様子 |
日吉山王神社(ひよしさんおうのじんじゃ 現在、日枝神社ひえじんじゃ)です。絵の下側の道に面して「ニノ鳥居」、向かってその右に「神主」その左に別当とあります。鳥居の先を左に曲がり参道を進むと、「ニ王門」があり、階段を上ると「随神門」です。その右に「神楽殿」、「鐘楼」、「庚申」、「薬師」があり、左に「回廊」、{宝蔵」、「不動」、「鼓楼(太鼓を置くための楼)」、「観音」があります。随神門を進むと「手水や」、「中門」があり、そこをくぐり、「拝殿」後ろに「本社」と続きます。 日吉山王神社について、江戸名所図会の本文では、「永田馬場にあり。江戸随一の大社云々」、「文明年中(1478頃)太田道灌この山王三所の御神を星野山より江戸に遷し奉る」、「天正よりこの方、江戸を以って永くご当家ご居城のちに定められし頃紅葉山(今の皇居の中)において新たに社を御造営あり云々」、「承応三年甲午(1654年)、回祿(1657年明暦の大火のことか)の後、溜池の築山勝地たるにより終に台命あつく今の地へ遷座なし奉り宮社御造営ありしより江府第一の宮居となれり・・・」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。日吉神社(日吉山王神社)詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右の写真は神門です。江戸名所図会では随神門に当たるものと思われます。 境内の配置は江戸名所図会のそれとほぼ同じようではありますが、昭和20年の戦禍で殆ど消失したようで、個々にはかなり違っています。 |
平川天満宮(ひらかわてんまんぐう)は現在平河天満宮と書かれます。上の江戸名所図会の挿絵では、右下に「表門」があり参道が伸びています。階段を登って鳥居の左に「かぐら所」、右に「太子」とあります。鳥居の先に進むと「拝殿」「本社」があり、拝殿の左に「やくし」、右に「庚申」「地蔵」「不動」、更に右に「弓場」があります。又、本殿の右奥に「別当」が見えます。 江戸名所図会の本文では、「傳云う、当社は、文明十年戊戌六月二十五日大田持資当国入間郡川越三芳野の天神を江戸城に勧請し、数株の梅を栽ると云々」、「その後天正十八年ご入国の頃彼宮を平川口の外へ移さる」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。平河町にあります。平河天満宮の詳細については「猫の足あと」を参照して下さい。 鳥居の前から本殿側を見ている写真です。この鳥居は、階段を上がってすぐのところにありますので、江戸名所図会の時代と同じ位置にあるようです。なお、この鳥居は銅製で、千代田区では最古(1884年)の鳥居、とのことですが、江戸名所図会の時代の少し後のようです。 |
上の挿絵の右手前が常仙寺(じょうせんじ)で、山門を入ってすぐ左に「いなり」、「寅薬師(とらやくし)」、山門正面に「本堂」が見えます。絵の左奥が心法寺(しんほうじ)の山門で、参道を進むと、「地蔵」、「御手植松?」、「本堂」とあります。本堂の左には「観音 えんま」、「寺中」、「かね」があります。 江戸名所図会の本文には、寅薬師如来(とらやくしにょらい)が常仙寺に置かれていることとその由来が書かれています。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。麹町六丁目です。 心法寺の正面の写真です。心法寺の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 銅製の梵鐘で、鋳造は1676年です。江戸名所図会に書かれている「かね」はこれかもしれません 常仙寺は明治時代に杉並区へ移ったそうで、現在この場所にはありません。 |
江戸名所図会の本文には、桜が井の項に、若葉井(わかばのい)という井戸が堀端にあり、傍らに柳を植えたので柳の井(やなぎのい)と呼ばれた、という記述があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。説明板が内堀通りの歩道にありますが、お堀の中は立入禁止のため、丁度その上に説明板を置いた、と書かれています。 |
桜が井(さくらがい)の絵には「井伊侯の屋敷の前にあり」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。国会の前庭の外側内堀通りの歩道にあります。 桜が井とされる井戸の跡です。元々は加藤清正が自分の屋敷に掘った井戸で、その後彦根藩井伊家の上屋敷となり、昭和になり道路工事に伴い、現在の位置(国会の前庭のお堀寄り)に移されたとのことです。 |
江戸名所図会の本文には、霞が関(かすみがせき)について「桜田門の南、黒田家と浅野家との間の坂を云う。往古(むかし)の奥州街道の南にして関門(せきもん)のありし地なり云々」とあります。 桜田通には大名行列がすれ違っています。行列の人達は旅姿に見えますので、これは参勤交代の行列かもしれません。
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江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。絵では、桜田通から霞が関坂の上り坂を見ているものと思われます。 |
上の挿絵は、霞が関古図(かすみがせき)です。 |
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上の挿絵は、溜池白山祠(ためいけはくさんのやしろ)です。 |
現在、溜池白山祠のあった場所は、再開発工事中です。消えてしまっているようです。 |
江戸名所図会の本文には「溜池(ためいけ) 赤坂御門の外より山王宮(さんのうみや)の麓を東南へめぐる。昔、神田・玉川の両上水未だ江城(こうじょう)の御もとへ引かせ給わざりしその以前は、この池水を上水に用いられしとなり・・・・」とあります。 挿絵の手前に「汐見坂」、左に「霊南坂」とあり、左少し先に「白山」があります。絵の中央が溜池で、そのはるか先に「山王」(現 日枝神社)が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。現在の地下鉄溜池山王駅を中心とした外堀通のあたりは溜池だったことが分かります。 |
麻布善福寺(あざぶ ぜんふくじ)の挿絵です。挿絵の右下の「惣門」の先の参道の左右には「寺中」があり、参道右に「柳の井」があります。中程には「中門」があり、その左右に「杖銀杏」、「太子」、正面に「本堂」があります。本堂の左には「回廊」、「竜王」、「かね」、右に「玄関」があります。 挿絵の左側に「裏門」があり、「せんだい坂」に面しています。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。善福寺の詳細については、「猫の足あと」を参照して下さい。 右の写真は、善福寺の参道で、挿絵の惣門の辺りから撮っています。現在、惣門に該当する門がありません。 右の写真は、勅使門です。挿絵の中門の位置にありますが、この門は戦災で消失し再建されたものです。 |
上の挿絵は、善福寺開山(ぜんぷくじかいざん)了海上人(りょうかいしょうにん)誕生図(たんじょうのず)です。 | |
上は、麻布一本松(あざぶいっぽんまつ)の挿絵で、左上に「長伝寺」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 |
七仏薬師(しちぶつやくし)氷川明神(ひかわみょうじん)の挿絵には、右下に「やくし」、「庫裡」があり、中央上に「氷川」があります。手前の坂は「薬園坂」です。 七仏薬師について江戸名所図会の本文には「・・麻布本村町(ほんむらまち)の南、坂の下り口左側(ひだりがわ)醫王山(いおうざん)東福寺(とうふくじ)といえる天台宗の寺内(じない)にあり・・・」とあります。 なお、上の挿絵によると、東福寺は薬園坂に面していたようです。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。氷川神社はオレンジ色の円、東福寺は赤い円で記してあります。なお、東福寺は現在ここにありません。 右は、東福寺の南側にあった名称寺(みょうしょうじ)です。上の地図の青い円の辺りです。明治通り側に面しています。 右は、薬園坂で、上の明称寺の西側から上がる坂です。この坂を登っていくと氷川神社に着きます。 右は、氷川神社の鳥居です。氷川神社の詳細については「猫の足あと」を参照して下さい。 |
霞山(かすみさん) 稲荷社(いなりのやしろ)の挿絵には、「本堂」の手前に、「天神」、[地蔵」、「観音」、「かぐら所」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右は、霞山稲荷社(現在 櫻田神社)の鳥居です。櫻田神社の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
広尾(ひろお) 祥雲寺(しょううんじ)の挿絵では、左下の「惣門」を入ると多数の「塔中」があります。右中央に「本堂」があり、その左右には「経堂」、「客殿」、「庫裡」があります。 江戸名所図会の本文には「開山(かいざん)は龍岳(りゅうがく)大和尚(だいおしょう)、開基(かいき)は松平筑前守長政なり」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。祥雲寺の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右の写真は山門で、挿絵の惣門に当ります。境内の配置は変わっていないようです。 右は、惣門を入り、左に曲がり右に曲がったところで本堂の方向を見ています。本堂の手前に、挿絵にはない門があります。 |
広尾(ひろお) 毘沙門堂(びしゃもんどう)の挿絵の右手前に「毘沙門堂」、その前に「光孝天皇御陵石灯籠」があり、左側に「鐘」、「弁天 天神 いなり」があります。 毘沙門天について江戸名所図会の本文には「多門山(たもんざん)天現寺(てんげんじ)といえる禅刹(ぜんさつ)に安置(あんち)せり・・」とあります。 挿絵の中央を左右に蛇行しながら流れる川は渋谷川、毘沙門堂の前を左右に走る道は現在の明治通りに当たるものかと思われます。当時はこのような田園風景が広がっていました。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りかと思われます。赤い円は現在の天現寺の境内です。天現寺の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上は、広尾原(ひろおのはら)の挿絵です。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれたところはあまりよくわからないのですが、上の地図の緑色の楕円の辺りかその周辺かと思われます。 |
上は、 広尾(ひろお)水車(みずくるま)の挿絵です。 流れは渋谷川で、中央の橋が水車橋(山下橋)でその少し上に水車が見えます。 |
左の挿絵に描かれたところは、上の地図の緑色の楕円の辺だろうと思われます。 赤い丸は水車のあった場所で、青い丸は水車橋です。 この水車は、玉川上水の建設に貢献した玉川家が作ったものです。玉川家は上水建設の功績により山下橋の近くに屋敷を与えられ、その地で、渋谷川をせき止めて水を取り入れ水車を動かしました。 |
上の挿絵で、右側中央に「 鷺森神明(さぎのもりしんめい)」、右側上に「西光寺(さいこうじ)」、上の左側に「氷川明神(ひかわみょうじん)」があります。氷川神社の周囲には「天神」、「かぐら所」、[聖天」があり、氷川神社の右に「報恩寺」があります。報恩寺と西光寺の間の坂は「三鈷坂」です。挿絵の右下端に古川(渋谷川)が流れ、その北側(右手前側)に、「 明称寺」、「薬園坂」、川には「相模殿橋」が架かっています。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤い楕円は氷川神社、青い円は西光寺、オレンジ色の楕円は明称寺です。挿絵の右中央にある鷺森神社は見当たりません。 右は、白金氷川神社です。氷川神社の詳細についてては「猫の足あと」を参照してください。 右は、西光寺の本堂です。西光寺の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右は、明称寺の山門です明称寺の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
梅が茶屋(うめがちゃや)の挿絵には。「三鈷坂(さんこさか)より左(ひだり)の方(かた)白銀氷川(しろがねひかわ)の社(やしろ)の側(かたわら)にあり。一年(ひととせ)遊行(ゆぎょう)五十二世佗阿一海(だあいっかい)上人、此家(このや)の梅(うめ)を愛(あいし)たまい、一首(いっしゅ)の和歌(わか)を詠(えい)せらる。白梅(はくばい)にして床梅(とこうめ)と号(なづ)くという。二月の芬芳(ふんほう)すこぶる世(よ)に越(こえ)て高(たか)し」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれたところは上の地図の緑色の楕円の辺りかと思われます。 |
松秀寺(しょうしゅうじ)の挿絵には、「惣門」、「中門」とあり、その先の「本堂」への参道の左には、「六地蔵」、「地蔵」、「手水や」があり、みぎには「庫裡」、「日限地蔵」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。国道1号線(桜田通り)ができたため、区画が大幅に変わったようで、江戸時代の状況と現在の様子との対比ができていません。 右は松秀寺の山門です。松秀寺の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
上の挿絵の手前側は 花城天満宮(はなきてんまんぐう)で、「拝殿」、「本社」、「人丸」があり、丘の上に「高台院」があります。 江戸名所図会の本文には、花木天満宮は松久寺(しょうきゅうじ)に置かれていた、とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。松久寺、花木天満宮は存在しませんが、坂の上にある高台院は現存しています。 |
上の挿絵で、右側中央に「 覚心寺(かくしんじ)」、「弁天」があり、その上に「清林寺(せいりんじ)」があります。その左側に「承敬寺(しょうけいじ 現在承教寺じょうきょうじ)」があり、「本堂」が「庫裡」、「かね」があり、「仁王門」、「総門」に続いています。絵の中央少し下に「上行寺(じょうぎょうじ)」、「本堂」があります。その左側に、「円真寺(えんしんじ)」、「黄梅院(こうばいいん)」があります。黄梅院は「西方二十四番札所観音」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤い楕円は承敬寺、青い楕円は黄梅院、オレンジ色の楕円は清林寺です。覚心寺、上行寺は現在存在しません。 右は、現在の承教寺山門です。挿絵の惣門の位置にあります。承教寺の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右は、清林寺です。清林寺の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右は、円真時です。円真寺の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 右は、黄梅院です。黄梅院については「猫の足あと」を参照してください。 |
上の挿絵には「 正覚院(しょうがくいん) 高野山(こうやさん)宿寺(しゅくじ)なり」とあります。挿絵の中央上側に「本堂」があります。その右に「拝殿」、「円生 高野 両神」、「いなり」、「天神」、「宝蔵」があります。 本堂の左手前の参道の左に「無量院」があり、右に「宝性院」、「成就院」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右は、高野山東京別院(正覚院)の山門です。江戸時代の山門は、挿絵のように、二本榎通りに面していたようですが、現在は、100m程削られており、右の山門は挿絵の中門の位置辺りにあるのではないかと思われます。正覚院の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 挿絵の境内社は、右のように一箇所に集められています。4殿あり、挿絵の丹生(にう)明神は右端、高野(たかの)明神は右から2番めです。 |
挿絵の中央上に 雉の宮(きじのみや)の「本社」があります。絵の右には「宝塔寺」、「本堂」、「元三大神」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれたところは上の地図の緑色の楕円の辺りかと思われます。現在の様子は、左の挿絵とかなり違っているようです。 |
瑞聖寺(ずいしょうじ)の挿絵で、参道が左下から「惣門」、「中門」、「天王殿」、「本堂」と続き、周囲に時計回りに「選仏場」、「報恩堂」、「座禅堂」、「魂舎」、「魂舎」、「方丈」、「庫裡」、「鐘楼」があります。 江戸名所図会の本文には以下のようにあります。 紫雲山瑞聖寺(しうんざん ずいしょうじ) 白金臺町(しろかねだいまち)にあり、黄檗派(おうばくは)禅林(ぜんりん)にして・・・仏殿(ぶつでん)には釈迦如来(しゃかにょらい)、脇士(わきじ)は迦葉(かしょう)阿難(あなん)等(とう)の像(ぞう)を置(おけ)り・・・ |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。現在の瑞聖寺の境内は少しせまくなっているようです。瑞聖寺の詳細については、「猫の足あと」を参照してください。 現在、挿絵にある惣門、中門は見当たらず、挿絵の天王殿の辺りに右の山門があります。又、挿絵の参道は本堂から天王殿、惣門まで直線的に並んでいますが、現在は挿絵の天王殿から挿絵の中央したへ曲げられています。 |
白銀妙見堂(しろがねみょうけんどう)の挿絵の中央手前に「妙円寺」、「本堂」、「番神」があり、右手前に「妙見」、「山王」があります。画面上には「白銀通り」があります。 江戸名所図会の本文には、「妙見大菩薩(みょうけんだいぼさつ) ・・・日蓮宗妙円寺にあり、足利将軍(あしかがしょうぐん)尊氏公(たかうじこう)の念持仏(ねんじぶつ)なりといえり」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。挿絵の白金通りは現在の目黒通りです。妙円寺の詳細については、「猫の足あと」を参照してください。 |
鎌作観音(かまつくりかんのん)の挿絵の中央に「観音」があり、手前に「高福院」、「八まん」があります。 江戸名所図会の本文には、「鎌作観世音(かまつくりかんぜおん) ・・・六軒茶屋町(ちゃやまち)の角(かど)真言宗(しんごんしゅう)光雲寺(こううんじ)にあり・・・」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。挿絵の手前の広い道は目黒通りです。赤い円は鎌作観音の位置ですが、現在は存在しません。水色の円は、高福院と八まん(誕生八幡)です。 |
夕日岡(ゆうひのおか)行人坂(ぎょうにんざか)の挿絵では、右下からの道が「たいこばし」を越え、「行人坂」へ続いています。行人坂の途中には、「明王院」、「だいこく」、「弁天」があり、さらに先に「五百羅漢」があります。 江戸名所図会の本文には、「行人坂(ぎょうにんざか) 同所(誕生八幡のこと)同西の方(にしのかた)目黒(めぐろ)へ下(くだ)る坂(さか)を云(いう)。寛永(かんえい 1624~1645)の頃、湯殿山(ゆどのさん)の行者(ぎょうじゃ)某(それがし)大日如来(だいにちにょらい)の堂(どう)を建立(こんりゅう)し大圓寺(だいえんじ)と号(ごう)す・・・」とあります。 又、「同道(行人坂のこと) 左にあり、明和・・・の大火(たいか)に焼死(しょうし)せし者(もの)の迷魂(めいこん)を吊(とむら)わんが為、ある人怖kレを建立すといえり・・・」とあります。 又、「松樹山明王院(しょうじゅざんみょうおういん) 同所(行人坂のこと)坂(さか)の側(かたわら)にあり。天台宗にして・・・」とあります。 又、「夕日の岡(ゆうひのおか) 明王院(みょうおういん)の後ろの方、西(にし)に向(むか)える岡(岡)をいえり・・・」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤い円は太鼓橋、水色の円は明王院、オレンジ色の円は大圓寺、紫色の円は夕日の岡辺りです。 右は、大圓寺の山門です。大圓寺の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
富士見茶屋(ふじみちゃや)の挿絵には、「西南(せいなん)遥(はるか)にひらけて芙蓉(ふよう)の白峯(はくほう)を望(のぞ)む。風(ふう)せん雲(くも)を掃(はらつ)て正(まさ)に玄冬(げんとう)の色(いろ)をあらわすかとみれば、忽然(こつぜん)として又(また)姿(すがた)を失(うしな)うこと、須臾(しゅゆ)にして定(さだま)ることなく、時として其観(そのかん)を改(あらた)む。実に佳景(かけい)なり」とあります。 又、「霧時雨 ふじを見ぬ日ぞ おもしろき 桃青翁」とあります。桃青翁は松尾芭蕉です。 |
富士見茶屋は、黄色の円の辺りです。そこから、西側(行人坂の下)を眺めた絵です。 |
上は、 太鼓橋(たいこばし)の挿絵です。 |
太鼓橋は、上の欄の地図の赤丸の辺りにあります。二つ上の欄の挿絵と見比べると、左の挿絵は、太鼓橋を南から見ているように思えます。 |
上の挿絵で、右下に 蟠龍寺(ばんりゅうじ)、「阿彌陀」、「玄関」があり、左上に窟弁天祠(いわべんてんのほこら)の「弁天」、「窟」、「天神」があります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。蟠龍院の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
寝釈迦堂(ねしゃかどう)の挿絵には、中央左に「本堂」があり、左に「玄関」、「庫裡」があり、右に「かね」、「えんま」、「不動」、「いなり」があります。 江戸名所図会の本文には、「臥龍山安養院(がりゅうざんあんよういん) ・・・天台宗にして、龍泉寺(りゅうせんじ)に属(ぞく)せり。本尊(ほんぞん)涅槃釈迦像(ねはんしゃかぞう)は空誉(くうよ)上人の作なり・・・」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。安養院の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
蛸薬師堂(たこやくしどう)の挿絵には、画面右の「本堂」の左に「金精」、「飯綱」が見えます。 江戸名所図会の本文には、「蛸薬師如来(たこやくしにょらい) ・・・天台宗(てんだいしゅう)成就院(じょうじゅいん)境内(けいだい)に安(あん)す。本尊(ほんぞん)薬師如来(やくしにょらい)は慈覚大師(じかくだいし)の作なり・・・」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。 右の写真は、成就院の本堂です。成就院の詳細については「猫の足あと」を参照してください。 |
目黒飴(めぐろあめ)の挿絵には、「此地(このち)の名物(めいぶつ)として是(これ)を商(あきな)う家(いえ)多(おお)し。参詣(さんけい)の輩(ともがら)求(もと)めて家土産(いえつと)とす」とあります。 | 。 |
目黒不動堂(めぐろふどうどう)の挿絵では、左下の「惣門」から、左に「弁天」を見ながら進むと「仁王門」があります。仁王門の左に「手水や」、右には「三仏堂」、「高安明神」、「疱瘡神」、「あわしま」、「荒神」、「六所明神」、「秋葉」、「役行者」、「縁結神」が並んでいます。仁王門の先の階段を登ると、「良弁像」、「経蔵」を左に見ながら「本堂」に着きます。本堂の右手前から反時計方向に、「鐘楼」、「大こく えびす」、「水神」、「御供水」、「あいぜん」、「大行事権現」、「いなり」、「地蔵」、「かんのん」、「開山堂」、「太子」、「大日」、「吉祥天」、「天神」、「鬼子母神」、「こくうぞう」、「遮軍神」、「早尾」、「八まん」、「経堂」が取り囲んでいます。仁王門の左には「手水や」、「垢離堂(こりどう)」、「前不動」、「せいし」、[茶屋」、「かんのん」、「地蔵」、「弁天」、「裏門」と続きます。画面の右下には、「滝泉寺」、「方丈」が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。目黒不動瀧泉寺の詳細については、「猫の足あと」を参照してください。 |
上の挿絵の中央が 大鳥明神社(おおとりみょうじんのやしろ)で「かぐら所」、「いなり」が見えます。その左が「別当 大聖院」です。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。大鳥神社の詳細については、「猫の足あと」を参照してください。 右は、大鳥神社の鳥居で、挿絵と同じ位置にあるものと思われます。鳥居の前の道は、現在の山の手通りです。挿絵の右下の大きな道は目黒通りです。 |
上の 金毘羅社(こんぴらのやしろ)のさしえでは、左上に「表門」、中央下に「裏門」があります。階段を上がり右に「かぐら所」、「釈迦」、「地蔵」を見ながら進むと「拝殿」、「本社」があります。 拝殿の左が「別当」です。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。金毘羅社は現存しません。挿絵の右下の道は目黒通りかと思われます。 |
千代ケ崎(ちよがさき)の挿絵には、「行人坂(ぎょうにんさか)の北(きた)、長峯松平主殿侯(ながみねまつだいらとのもこう)別荘(べっそう)の後中(うしろなか)、目黒(めぐろ)の方(かた)へ少(すこ)し下(くだ)る所(ところ)なり。初(はじ)め鎗ヶ崎(やりがさき)といいしを後(のち)に千代ヶ崎(ちよがさき)と改(あらため)られしという。主殿侯(とのもこう)構(かまい)の旧跡(きゅうせき)に似て池の傍(かたわら)に衣掛松(ころもかけまつ)という在(ある)は新田義興(にったよしおき)の室(しつ)、義興(よしおき)矢口の渡(やぐちのわたし)にて最期(さいご)の事(こと)聞(きき)かなしみに絶(たえ)ず此池(このいけ)に身(み)を投(なぐ)るといえり。絶景観(ぜつけいかん)といえるも此(この)別荘(べっそう)の号(ごう)なりとぞ」とあります。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りかと思われます。 右の写真の辺りは、右から左に高くなっており、この左側が松平家の屋敷だったようです。この辺りが千代ヶ崎といわれたところかと思われます。 |
長泉律院(ちょうせんりついん)の挿絵には、左下から「表門」、「鐘」、「いなり」、「本堂」があり、右には「裏門」、「方丈」があり、遠景に「三峯 天神 秋葉」が見えます。 |
江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りかと思われます。 |
巻之三 天璣(てんき)之部
第七冊 永田町、霞が関、麻布、広尾、目黒 このページです。
第八冊 祐天寺、赤坂、渋谷、世田谷、溝の口、登戸、丸子
第九冊 四谷、千駄ヶ谷、代々木、深大寺、国分寺、府中
第十冊 府中、立川、玉川、高幡不動