アラさんの隠れ家歴史散歩江戸名所図会(えどめいしょずえ)>巻之七 第二十冊


江戸名所図会(えどめいしょずえ)の巻之七の中のページ
    第十八冊 富岡、深川、本所、亀戸、押上
    第十九冊 隅田川東岸、葛西、柴又 
    第二十冊 行徳、国府台、真間、船橋 (準備中) このページです

江戸名所図会 巻之七 揺光之部部 第二十冊

江戸時代の風景 今の様子と図の説明

新宿渡口 (江戸名所図会より)
新宿渡口

上の、新宿(にいじゅく)渡口(わたしぐち)の挿絵には以下のように書かれています。

松戸街道(まつどかいどう)にして、川よりこなたを亀有(かめあり)といへり。 此所(ところ)を流るるは中川(なかがわ)にして鯉魚(こい)を産(さん)す。 尤(もっとも)美味(びみ)なり

新宿の渡し

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。

夕顔観音堂 (江戸名所図会より)
夕顔観音堂

上の、夕顔観音堂(ゆうがおかんのんどう)の挿絵の上側を流れる川は「中川」です。

夕顔観音堂

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。安福寺(夕顔観音)の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照して下さい。

半田稲荷社 (江戸名所図会より)
半田稲荷社

上の、半田稲荷社(はんだいなりのやしろ)の挿絵には「東葛西領(ひがしかさいりょう)金町(かなまち)にあり。来由(らいゆ)は詳(つまびらか)ならず。拾遺に記すへし」とあります。その後、拾遺編は発行されていないようです。

上の挿絵の右には「本社」があり、その周りに「別当」、「狐穴」、「いなり **」があります。

半田稲荷

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。半田稲荷の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照して下さい。

松戸の里 (江戸名所図会より)
松戸の里

上の、松戸の里(まつどのさと)の挿絵の中央右に「樋の口」、その左下に「松戸」、「本河岸」が、左上に「金町」が見えます。

松戸の里

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りと推定されます。赤色の楕円は本河岸、オレンジ色の楕円は樋の口、青い楕円の北側は金町です。これらの位置の推定には、サイト「松戸宿へようこそ」、特に「水運と河岸」のページを参考にさせてもらいました。

行徳 舟場 (江戸名所図会より)
行徳 舟場

上の、行徳(ぎょうとく)舟場(ふなば)の挿絵には以下のように書かれています。

大江戸(おおえど)小網町(こあみちょう)三丁目行徳河岸(ぎょうとくかし)といへるより此地(このところ)まて船路(ふなぢ)三里八丁あり。房総(ぼうそう)の駅路(うまやぢ)にして旅亭(はたごや)あり。故に行人(こうじん)絡繹(らくえき 人馬の往来が絶え間ないこと)として繁盛(はんじょう)の地なり。殊更正五九月は成田不動尊(なりたふどうそん)の参詣(さんけい)の人夥(おびただ)しく賑(にぎわ)ひ大方ならず。

上の挿絵の手前に「新河岸」、その左に常夜灯が見えます。挿絵上の左から右に、「八まん宮」、「八はた舟はし街道」、「神明宮」、「本行徳四丁目」、「名物ささやうんとん」が見えます。

行徳船場

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤い楕円は新河岸の辺り、紫色の楕円は笹屋うどん店、オレンジ色の楕円は神明宮(本行徳神明社)、青色の楕円は行徳八幡宮(本行徳八幡神社)です。これら2つのリンク先はサイト「猫の足あと」です。

行徳 徳願寺 (江戸名所図会より)
行徳 徳願寺

上の、行徳(ごうとく)徳願寺(とくがんじ)の挿絵の右に徳願寺の「本堂」があり、その周辺に「方丈」、「鐘楼」、「えんま」、「楼門」があります。左ページの上から下に「大徳寺」、「かね」、「神明」、「水神」、「自性院」、「 八はた街道(現 行徳街道)」、「妙応寺」、「長勝寺」があり、そこから右に「祖師」、「船はし街道」があります。

松戸の里

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤色は徳願寺、青色は妙応寺、オレンジ色は神明神社(行徳神明豊受神社)、水色は大徳寺、紫色は自性院です。これらリンク先はサイト「猫の足あと」です。

行徳 汐浜 (江戸名所図会より)
行徳 徳願寺

上は、行徳(ぎょうとく)汐浜(しおはま)の挿絵です。

行徳 塩竈之図 (江戸名所図会より)
行徳 塩竈之図

上は、行徳塩竈之図(しおがまのず)です。

行徳鵆 (江戸名所図会より)
行徳橋

上は、行徳鵆(ぎょうとくちどり)の挿絵です。

市川渡口 根本橋 利根川 (江戸名所図会より)
市川渡口 根本橋 利根川

上の、市川渡口(いちかわわたしぐち)根本橋(ねもとばし)利根川(とねがわ)の挿絵の下側を「とね川(現在の江戸川)」が流れています。左下は「御関所」です。右側中央に「市川宿」があり、そこから左へ「根もと橋」、「根本村」、「鳳凰大明神」、「總寧寺道」、「国府の臺」があります。遠景に「真間山」、「 とみのはな?」が見えます。

市川渡し口

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤色は根本橋、水色は市川の渡し、オレンジ色は真間山、紫色は国府神社(鳳凰大明神)です。リンク先はサイト「猫の足あと」です。

国府台 總寧寺 (江戸名所図会より)
国府台 總寧寺

上の、国府台(こうのだい)總寧寺(そうねいじ)の挿絵の左に「仏殿」があり、その周りに「禅堂」、「鐘楼」、「庫裏」、「方丈」、「*陀沙羅菩薩」、「山門」、「烏枢沙摩明王」があり、右上に「薬師」、「裏門」、右下に「くまの 白山 八まん」、「大門」があります。

其二 古戦場 (江戸名所図会より)
其二 古戦場

上の、其二古戦場(こせんじょう)の挿絵の上から下に、「石ひつ」、「天守台」、「浅間」、「ぬけ穴」、「氏康氏政床几塚」、「夜なき石」、「鐘ヶ渕」、「らかん井」、「とね川」があります。

国府台總寧寺

江戸名所図会の1枚めの挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りで、總寧寺はこの中にあります。其二の挿絵に描かれた範囲は青色の楕円の辺りです。上のリンク先はサイト「猫の足あと」です。

總寧寺 羅漢井 (江戸名所図会より)
總寧寺 羅漢井

上は、總寧寺(そうねいじ)羅漢井(らかんい)の挿絵です。 羅漢井の場所は、上の欄の其二の挿絵に記されています。

国府台 断岸之図(江戸名所図会より)
国府台 断岸之図

上の挿絵は、国府台(こうのだい) 断岸之図(だんがんのず)です。

国分寺 (江戸名所図会より)
国分寺

上の、国分寺(こくぶんじ)の挿絵の右側中央に「薬師堂」があり、その周囲に「かね」、「天神  **** 八まん」、「地蔵]、[不動尊」があり、挿絵の左側に「本堂」、「方丈」、「庫裏」、「伽藍礎」、「仁王門」があります。

下総国分寺

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。国分寺の由緒・詳細については「猫の足あと」を参照して下さい。赤い丸は旧国分寺(国分寺跡)です。

鏡石 (江戸名所図会より)
鏡石

上の、鏡石(かがみいし)の挿絵には以下のようにあります。

真間(まま)の弘法寺(ぐほうじ)より国分寺(こくぶんじ)へ行方(いくかた)の田畔(たのくろ)石橋(いしばし)の傍(かたわら)小溝(こみぞ)の中にあり。 土人(どじん)云。此石根(せきこん)地中(ちちゅう)に入(いる)る事其際(きわ)をしらず。依(よって)要石(かなめいし)とも号(なづ)くるとなり

鏡石

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。

真間 弘法寺 (江戸名所図会より)
真間 弘法寺

上の、真間(まま)弘法寺(ぐほうじ)の挿絵には以下のようにあります。

入重玄門倒修凡事の意を  ここに人をわたしはてんとせし程に我が身はもとのままの継橋  日蓮

上の挿絵の右上に「釈迦堂」、「祖師堂」があり、その周囲に「牌堂」、「楓樹」、「かね」、「番神」、「仁王門」、「常唱堂」、「鬼子母神」があり、挿絵左上に「本堂」、「方丈」、「宝庫」、「扁覧亭」があります。参道を下るとその先に「ままの継橋」があり、その右に「手児奈明神」があり、更に右に「ままの井」、「鈴木院」があります。

下の挿絵は上の挿絵の左側につながっています。

其二 (江戸名所図会より)
其二

其二の挿絵の上には「利根川」があり、そこから手前に見える側は根本川です。

真間弘法寺

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。水色は弘法寺、赤色は真間の井、紫色は手児奈霊神堂です。これらのリンク先はサイト「猫の足あと」です。

梨園 (江戸名所図会より)br> 梨園

上の挿絵、梨園(なしその)には以下のように書かれています。

真間(まま)より八幡(やはた)へ行道の間にあり 二月(きさらぎ)の花盛(はなざかり)は雪を欺(あざむ)くに似たり。 李太白(りたいはく)が詩(し)に梨花白雪香(りかはくせつこうばし)と 賦(ふ)したるも諾(うべ)なりかし

八幡不知森 八幡八幡宮 (江戸名所図会より)
八幡不知森 八幡八幡宮

上の、八幡不知森(やはたしらずのもり)八幡八幡宮(やはたはちまんぐう)の挿絵の左中央に「本社」があり、その周囲に「別当」、「山王」、「*宮」、「いなり」、「みこしくら」、「本地堂」、「松尾」、「神木」、「天神」があり、その右に「観音」、「弁天」、「大門」があり、更に右端に「八幡不知森」があります。

八幡八幡宮

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤色は八幡八幡宮(葛飾八幡宮)の拝殿の辺り、紫色は八幡の藪しらず(八幡不知森)です。リンク先はサイト「猫の足あと」です。

葛飾八幡宮 右は葛飾八幡宮の鳥居です。

葛飾八幡宮 右は仁王門です。左の挿絵の参道中程にある大門かと思われます。

葛飾八幡宮 右は拝殿です。左の挿絵と同じ位置にあります。

葛飾八幡宮 右は拝殿の横にある公孫樹(いちょう)です。樹齢1200年を越えるとのことですので、左の挿絵の神木に当たるようです。

葛飾八幡宮 右は八幡不知森です。

妙法華経寺 (江戸名所図会より)
妙法華経寺

上の、妙法華経寺(みょうほけきょうじ)の挿絵には以下のように書かれています。

東土産
杉の葉や あらしの後の 夜半の月
        宗長

上の挿絵の左側中央に「本堂」があり、その左に「宇賀神」、「祈祷堂」、「祖師初説法堂」、「鬼子母神」があり、本堂の下(手前)に「経蔵」、「骨堂」、「龍淵橋」、「天神」、「寺中」、「二王門」、「高札」、「大門」があり、本堂の右上に、「客殿」、「宝蔵」、「方丈」、「*神」、「拝殿」、「寺中」があり、本堂の右に「常唱堂」、「駒形明神」、「****」が見えます。挿絵の右上に「奥の院」があります。

其二 高石明神社 (江戸名所図会より)
其二 高石明神社

上の、其二 高石明神社(たかいしみょうじんやしろ)の挿絵は、その上の挿絵の左側に繋がります。

其二の右上から下に、「妙正社」、「あはのす明神」、「寺中」、「竜王」、「日高墓」、「日裕墓」、「寺中」があり、下の道には「此辺名物こんにゃく」とあります。挿絵の左上から下に、「 子権現」、「高石明神」があり、下の道には「舟はし街道」とあります。

法華経寺宮

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。赤色は法華経寺(ほけきょうじ 妙法華経寺)の辺り、オレンジは安房神社、紫色は高石神社です。リンク先はサイト「猫の足あと」です。

法華経寺 法華経寺は日蓮宗大本山で、中山法華経寺とも呼ばれます。右は、祖師堂で左上の挿絵の本堂の位置にあるようです。

法華経寺 右の五重塔は、左上の挿絵の本堂の前にある五重塔です。明治時代に補修されているようですが、昔の形を残しているとのことです

法華経寺 右の堂宇は、本院その他のお堂がつながっているようです。左上の挿絵の客殿、方丈の辺りに位置し、ほぼ同じ機能を持つ堂宇かと思われます。

法華経寺 右は、参道に架かる龍淵橋です。五重塔が見えています。左上の挿絵と同じ位置にあります。

法華経寺 右は、山門です。左上の挿絵の仁王門にあたります。

安房神社 右は、安房神社です。左の其二の挿絵のあはのす明神に当たるようです。

高石神社 右は、高石神社です。左の其二の挿絵の高石明神社に当たるようです。

葛飾明神社 栗原宝成寺 (江戸名所図会より)
葛飾明神社 栗原宝成寺

上の挿絵には、葛飾明神社(かつしかみょうじんのやしろ)、葛の井(くずのい)、満善寺(まんぜんじ)、栗原宝成寺(くりはらほうじょうじ)とあり、宝成寺について以下のように書かれています。

当寺の庭前(ていぜん)に椿の大樹あり。高さは四尺ばかりにして枝のながれ四方(しほう)へ四間(しけん)ばかりありて壮観(そうかん)なり

上の挿絵の右上の方に「かつしか明神」とあり、その右下に「いなり」、「くずの井」があります。挿絵の左下に「宝成寺」、「椿」があります。挿絵の左上に不鮮明ですが「満善寺」があるようです。

葛飾明神

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。紫色の楕円は宝成寺、水色の楕円は葛の井(現在は葛羅の井)、赤色の破線の楕円は葛飾明神のあった辺りかと思われます。葛飾明神は大正時代に下の欄の熊野宮と合祀され、現在は葛飾神社となっているようです。満善寺は廃寺になったようです。宝成寺の由緒・詳細についてはサイト「猫の足あと」を参照して下さい。

宝成寺 右は、宝成寺です。

葛羅の井 右は、葛羅の井の辺りです。この奥に井戸の跡があります。

葛飾明神 右は、葛飾明神があったと思しきところです。

勝間田池 (江戸名所図会より)
勝間田池

上の、勝間田池(かつまたのいけ)の挿絵には、以下のように書かれています。

栗原本郷邑(くりはらほんごうむら)の地にあり。故に本郷の溜池と号(なづ)く。

 万葉集
かつまたの 池をわれしる はちす(蓮 はす)なし しかいふ君が 鬚なきがごと
    新田部親王

挿絵の中央は大きな池(勝間田の池)のようです。挿絵の左下には「熊野宮」とあります。

勝間田の池

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。青色が池があったと思われるところ、紫色は熊野神社(現葛飾神社)で、リンク先はサイト「猫の足あと」です。

勝間田の池 右は、勝間田の池があった辺りで、現在勝間田公園になっています。左の挿絵の視線方向で撮っています。

葛飾神社 右は、葛飾神社(旧熊野宮)の鳥居です。

葛飾神社 右は、葛飾神社の拝殿です。上の欄に書かれているように、葛羅の井の近くにあった葛飾明神が、この地の熊野宮に合祀されて葛飾神社になった、ということです。

意冨日神社旧地 (江戸名所図会より)
意冨日神社旧地

上の、意冨日神社(おおひのじんじゃ)旧地の挿絵には、左に「いなり」、右に「みたらし」が見えます。

意冨日神社旧地

江戸名所図会の挿絵に描かれた意冨日神社旧地は上の地図の緑色の楕円の辺りです。現在は入日神社です。リンク先は「猫の足あと」です。

意冨日神社旧地 右は、現在の入日神社です。鳥居の先に本殿があります。

意冨日神社旧地 本殿は、左の挿絵と同じく、覆屋の下に置かれています。

船橋駅 天道念仏踊之図 (江戸名所図会より)
船橋駅 天道念仏踊之図

上は、船橋駅(ふなばしえき)天道念仏踊之図(てんどうねんぶつおどりのず)の挿絵です。

本文の船橋の項には、日本武尊が東征の際にここまで来たこと、ここの海上で神鏡を釣ったことにちなみここを海神(かいしん)と呼ぶようになったこと、又、船を並べて橋のようにしたことから船橋の地名ができたこと、等が書かれています。

船橋宿

江戸名所図会の時代の船橋宿は上の地図の緑色の楕円の辺りです。

船橋宿 右は、マップの緑色の楕円の西側の端から東側を撮った写真です。道路の先に、船橋大神宮があります。

船橋 意冨日神社 (江戸名所図会より)
船橋 意冨日神社

上の、船橋(ふなばし)意冨日神社(おおひのじんじゃ)の挿絵の左側に下の其二の挿絵が繋がります。

其二 (江戸名所図会より)
其二

上の其二の挿絵の中央に「本殿」があり、その左下方向に「拝殿」、「西宝殿」、「「稲荷」、「人丸」、「天神」、「茶屋」、「とまりや」とあり、左への道には「行徳通り」とあります。本殿の右から右上にかけて、「東宝殿」、「**」、「茂呂神社」、「斎殿」、「常盤宮」、「神庫」、「大宮司」、「御手栽梅」、「裏門」があります。

意冨日神社

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りです。意冨日(おおい)神社は現在船橋大神宮と呼ばれています。リンク先はサイト「猫の足あと」です。

船橋大神宮 右は、左の挿絵其二の左下から見た写真です。鳥居は同じ位置にあるものと思われます。階段の上に見える鳥居は、左の挿絵の鳥居とは向きが少し違うようです。

船橋大神宮 左の挿絵其二の人丸、天神の辺りには、右の船玉神社があります。

船橋大神宮 右は、左の挿絵其二の本殿の右下にある門(閉ざされているようだ)に当たると思われる神門の外側から拝殿を見ている写真です。

船橋大神宮 右は、常磐神社です。左の挿絵其二と同じ位置にあるようです。

船橋大神宮 右は、左の挿絵(半分のサイズ)の右下の鳥居と同じ位置の鳥居です。

意冨日神社 九月二十七日祭祀之図 (江戸名所図会より)
意冨日神社 九月二十七日祭祀之図

上の挿絵は、意冨日神社(おおひのじんじゃ)九月二十七日祭祀之図(まつりのず)です。

茂侶神社 (江戸名所図会より)
茂侶神社

上の、茂侶神社(もろのじんじゃ)の挿絵には、「黎明(あけがた)に大江戸(えど)の内洋(うちうみ)を望む図」とあります。

茂侶神社

江戸名所図会の挿絵に描かれた範囲は上の地図の緑色の楕円の辺りと思われます。視線の方向は左の挿絵の朝日の位置から推定しましたが、あまり自信がありません。茂侶神社の由緒・詳細についてはサイト「猫の足あと」を参照して下さい。

茂侶神社 右は茂侶神社の参道入口です。上のマップの緑色の楕円の下部にあるものと思われます。

茂侶神社 右は茂侶神社の拝殿です。参道の北端にありますが、左の挿絵との対応関係はよく分かりません。なお、茂侶神社は、下総台地の西端に位置し、左の挿絵でも社が少し高いところにあることが示されています。

 


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